住吉神社

月刊 「すみよし」

『小鹿田焼(おんたやき)』
風呂鞏

恩師高木大幹先生の名著『ハーンの面影』を時折書架から取り出しては読んでいる。奈良にお住まいであった先生は二〇〇三年一月に八十六歳で他界されたが、生前小泉八雲のことについて並々ならぬご指導を頂いた。先生からは百通を超える玉章を頂戴しているが、晩年になって、念願であった大分県北部の耶馬渓にある「青の洞門」を奥様共々訪ねられ、感銘を深くされたとの一文を送って下さったことがあった。

ご存じのように、青の洞門とは山国川に面してそそり立つ競秀峰の裾に位置する隧道だ。断崖絶壁の難所で遭難者が絶えなかったこの地に、十八世紀中頃禅海和尚がノミと槌だけで三十余年を費やして開削したトンネル(全長は三四二mだが、トンネル部は約一四四m)である。大正時代には、尋常小学校国語読本に教材として取り上げられ、また菊池寛の小説『恩讐の彼方に』(主人公は了海となっている)でもよく知られている。

秋の一日、ふと青の洞門を訪問して、あの時の高木先生の感動を共有したいとの思いが衝動的に起こり、気が付くと手元に新幹線の切符が握られていた。日帰りは余りにも無謀なので、日田温泉に泊まることに決めた。日田市には広瀬淡窓の開いた咸宜園跡もあるし、JR日田駅から国道二一二号線を車で三〇分も走れば、「日田の皿山」で有名な小鹿田焼(おんたやき)の里に至ることも可能なのである。

幸い好天に恵まれて、青の洞門、史蹟・咸宜園跡は期待に違わず素晴らしい所であった。それらの場所で過ごした至福の時間について語るとなると、紙面は足らなくなる。ところが想定外、今回の旅行で更に魅惑の虜になったのは、「小鹿田焼」の里だったのだ。目下中国新聞夕刊に連載されている原田ハマ作「リーチ先生」を愛読している所為かも知れない。

小鹿田焼は日田市の山あい、皿山を中心とする小鹿田地区で焼かれる陶器である。その技法は一九九五年(平成七)に国の重要無形文化財に指定されている。民藝運動を提唱した柳宗悦が一九三一年(昭和六)にこの地を訪れ、「日田の皿山」と題して小鹿田焼を高く評価する内容の一文を発表したこと、更にイギリスの陶芸家バーナード・リーチ(注)も滞在して作陶をおこなったことにより、日本全国、さらに海外にまで広く知られるようになった。柳の紀行文『日田の皿山』(日本民藝館、昭和三十年)には次のように書かれている。

北九州の古陶を知ろうとする者は、活きたこの窯に来ねばならぬ。どうしてこんな不便な山奥に窯の煙が立ち始めたのか。村の年老いた者の話によれば、今から凡そ二百余年前に、筑前朝倉郡小石原村から来つて陶法を伝えたのだと云ふ。それ故歴史は二世紀余りを過ぎる。今は八室を有つ一つの登り窯を共有で焚き上げる。月に二度も火を入れると云ふから僅十戸ほどのこの村も日々多忙である。・・・様々なものがここでは出来る。白絵、刷毛目、櫛描、指描、流釉、天目、柿釉、飴釉、黄釉、緑釉等々々。作る品は実用品ばかりである。水甕、酒甕、大壺、小壺、鉢、土瓶、急須、茶碗、徳利、花立、湯呑、皿、擂鉢、植木鉢、水注等々々。その範囲はいたく広い。小さな窯場で、是ほど多様なものを造る所も珍しい。このことだけでも不思議な窯である。凡てを自給せねばならぬ山間僻陬の地理が、このことを長く要求し、今もその習慣が続いてゐるのであろう。土地の農夫達は古くからの暮らし方を容易に変へない。

恥ずかしいこと乍ら、筆者は“民藝”についてはズブの素人、知識も何もない。二〇〇四年に、ひろしま美術館と中国新聞社の主催で「柳宗悦の民藝と巨匠たち展」が開催された時(一月三日〜二月十五日)会場に足を運び、柳が収集した李朝工芸と日本各地の民藝の品々、バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司ら巨匠七人の作品など約百五十点(その中には「小鹿田流釉大皿」も展示されていた)を鑑賞した。しかし、バーナード・リーチ作「黄釉鉄砂彫絵蛙文大皿(島根県布志名)」などは、民藝というよりも寧ろ美術品としての印象の方が強く、果たして”民藝”とは如何なるものなのか理解が及ばなかった。柳自身も東京都目黒区の「日本民藝館」の観覧者がある種の品物を指し、”これは民藝品ではなく上等な品ではないか”と云って、反問する人が時々あり歯痒い、と述べているほどだ。

柳は「民藝の性質」の中で、民藝は民衆のために民衆の手で作られた日々の用具であり、民藝は器物の領域において、質素なもの謙遜なもの無心なものを代表する、と述べている。今日まで見下されてきた一般民衆の用具、すなわち氏が「民藝」’Folk-craft’と呼ぶものが、美の領域において重要な意義を齎すことを力説し、民藝の美の特質を七項目挙げている。それらは、「実用性」、「多量に作られ廉価であること」、「平常性」、「健康性」、「単純性」、「協力性」、「国民性」である。

自然に満ちた美しい小鹿田焼の里を訪ねると、全行程昔ながらの手仕事で陶器づくりを続けている集落、全部で一〇軒の窯元と工人に出会える。静かな里のあちこちで、小川の瀬音の中に唐臼が陶土を搗く“鹿威し”のような響き(地元では“唐臼が鳴く”という)が聞こえて来る。日本の音風景一〇〇選の一つにも選ばれているそうだが、不思議と心に余韻を残す懐かしい響きだ。小鹿田焼と聞くと、一般には「飛び鉋」や、菊の花びらに似た「打ち刷毛目」など、健やかな民陶の美を想起するが、そうした焼き上げられた陶器が各軒先に所狭しと並んでいる光景はまさに壮観の一語。なぜ民藝品が美しいのか、この地を訪れて初めて、“民藝”の心が明らかとなって来る。“用”は美を育む大きな力だったのだ。

(注)バーナード・リーチ(一八八七−一九七九)がラフカディオ・ハーンの著作を読んだことがきっかけで来日し、陶芸と邂逅したことはよく知られている。

クリスマスケーキ
宮司 森脇宗彦

十一月の中ごろから広島市の平和大通りには、イルミネーションが夜は点灯されている。早々クリスマスの気分に誘われる。今年もあと少なくなったことを実感させられる。時の経つのが早いことも思わせる。なぜかせわしくなってくる。

敬虔なクリスチャンには失礼ではあるが、日本人にとってクリスマスは、キリスト教でいうキリスト生誕を祝うといった宗教的なものは一般には見られない。クリスマスには愛をはぐくむ若いカップルも多い。

クリスマスは、日本人にとっては年末の一つの年中行事なのである。日本人は、お正月、節分、お盆、秋祭りなどと同じ感覚でクリスマスを過ごしているといえる。西欧の人には理解不可能な日本人の生活行動、信仰と見えるという。

昭和三十年代の子供の頃のことを思い出してみる。クリスマスといえばクリスマスケーキを食べる日。ケーキぬきのクリスマスは考えられなかった。ケーキの製造メーカーにとっては稼ぎ時である。ケーキ店はクリスマスケーキの注文を競って取った。ケーキがなぜか必需品であった。十二月二十四日の夜、クリスマスイブは、家族のテーブルの中心にケーキが鎮座する。クリスマスにはケーキが主役の座を占めている。その理由は知らなかった。

クリスマスを祝って食べるケーキは、イギリス、アイルランド、英連邦諸国や、フィリピン、そして日本などでおこなわれているという。日本では、大正十一年頃から菓子メーカーの不二家が広めたといわれている。もっとも一般になるのは戦後であろう。

二月のバレンタインデーのチョコレートといい、ハローインといい商業主義も手伝って広まってきている。クリスマスケーキもその一つである。

クリスマスケーキがなぜ日本に受け入れられたのであろうか。日本的な考えが反映されていると私はみる。お祭りや、お祝いには日本でも食べ物がつきものである。

神と人とをつなぐものが食べ物である。祭りのあと直会(なおらい)があるのが日本の祭りである。直会とは、神様への御供え物をいただくという儀式である。直会のない祭りは意味がない。食べ物が神と人との供食ということで祭りは成り立つ。神へのお供えは神の霊力が宿る。それを食べることによって神の霊力を心身にとりこむ。神と一体となる。

おそらくクリスマスケーキはこの日に食べることによって神とは言わないが日本人としてのエネルギーを注入したのではないか。

ケーキを一緒に食べることによって会話が弾み、コミュニケーションが生まれ、日本には「同じ釜の飯をくう」ということばがある。供食することによって仲間意識が芽生えてくる。クリスマスケーキに、そんなことは意識していないのが日本人である。しかし、広い意味の宗教心とでもいうことができる。

黄泉の国を訪れたイザナギの命は、妻である亡くなったイザナミの命に会おうとする。イザナミの命はこうこたえる。

「あなたが早く来て下さらないので、私は黄泉の国の食べ物を食べてしまった。あなたには会うことができません。黄泉の大神と相談してくる」といった。「ヨモツへグイ(黄泉の国の食べ物をたべる)」するということは、黄泉の国の住人になったことを意味する。食べ物は古代においては重要な役目を果たしたことがうかがわれる。『古事記』に書かれたことである。

キリスト教では、ミサの時に聖体拝領という儀式が行われる。葡萄酒(キリストの血)とパンをいただく。それによって神と一体となる儀式である。食べ物をかいすることによって神の心に近づくと信じられている。聖体拝領が「コミニーテイ」の語源でもあるという。まさにこれは、日本の祭りの直会と同じである。洋の東西を問わず同じ心が通っている。

あと少しで新しい年を迎える。クリスマスケーキを神様と供食しながら、歳神さまを迎える心の準備の日々を過ごしてほしいものだ。よいお年を。

 

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