お知らせ
月刊すみよし著者紹介
~照沼好文氏~
昭和三年茨城県生まれ。元水府明徳会彰考館副館長。
著書『人間吉田茂』等多数。昭和六一年「吉田茂賞」受賞。
~風呂 鞏氏~
早稲田大学大学院卒、比治山大学講師
月刊 「すみよし」
『信仰は稽古事』
照沼 好文
去る五月三〇日付の『讀賣新聞』に、日本人の「宗教観」をテーマとした当社の年間連絡調査の結果が発表されていた。(平成二〇年五月三〇日)最初に、この調査を総括したコメントがあったので、それを見ると、日本人の半数は「自分たちの宗教心は薄くない」と考えていることが明らかになった。自然におそれを抱く気持ちもなお強く、日々の暮しでは「墓参り」「初詣で」などを宗教色を意識せずに受け入れている。「宗教を信じている」という人は3割に満たないものの、日本人特有の宗教観は確かに存在しているようだ、とまとめている。
ところで、この日本人の「宗教観」についての調査報告を読んだあとで、偶々神道国際学会第五回国際シンポジウムの講演録『神道と能楽』(神道国際学会・平成十三年二月刊)をみると、同学会副会長であり宝生流能楽嘱託教授深見東州氏の「信仰の具現化をめざして」と題した講演記録が眼にとまった。
まず、深見氏は黒住教の開祖、黒住宗忠の言葉を引用して、つぎのように述べている。
私が能をやっているのは、…まあ自己満足といえば自己満足のようなものですが、黒住教の教祖の黒住宗忠という人が、黒住教の信仰とは、…信仰のお稽古事。頭で考えたりとか理屈じゃなくて、体で覚えることだと言っているのです。しかも基本に忠実に、何度も何度も反復して覚えるという意味もあります。つまり、体で神を感じ、体で神を表現し、体で神と一体となることだといっています。(中略)
私も同じやうに、信仰はお稽古と同じで、体で覚えるものだということで、神々を感じ、神々と一体となり、神々を表現する方法の一つとして、また自分自身の修養の一つとして、能をやっているわけです。それに能だけではなく、オペラも、書も絵もやっておりますし、芝居もやっております。
このように、深見氏は黒住宗忠の言葉をとおして、信仰というのは芸事における稽古と同じであることを強調しているが、稽古には必ず修養、修練というものが伴う。深見氏の場合には、「能」という芸能をとおして、それを実践している。
ところで、舞台に向かうお稽古事というのは、自分の内面を深く磨き、また試すためには絶好の修養場であります。(中略)なぜなのかを考えてみますと、自分が慎み深く一生懸命に最大限の努力をして、そしてそのあとの本番は神様に捧げるつもりでやる。そういう、道ごころに根ざした昔の能楽師のように、道心や信仰のお稽古の修養のつもりでやると、稽古中にいたらぬ自分が見えてくるのでしょう。こういう本番の場数を踏んでいくと、信仰のお稽古や道心の修養、また能楽師としての技量がより本物になっていくわけです。
さらに、深見氏は以上のような実践をとおし、次いでつぎのように指摘している。
黒住宗忠公がおっしゃったように、信仰とはお稽古事と同じで、頭ぢゃない、観念でも理屈でもない、体で感じ、体で表現し、体で実感するものなんだという、これが神道的な一つの信仰形態の原点じゃないかと思っています。私は能の稽古を通してその原点に立ち向かっているのです。(下略)
さらに、以上のような信仰形態をもつ日本人の宗教意識について、深見氏は米国のロバート・ベラー博士の研究を紹介している。つまり、ベラー博士は一九六〇年代に、信仰のない宗教―信心はあっても信仰のない宗教の存在することを説いた。つまり、日本であなたは神を信じますか、宗教がありますかというアンケートの結果では、特に信じてないという答えが七割以上もあったという。しかし、日本人は信じてないわけではなく、初詣でには神社に行く、お盆にはお寺に行くし、法事にも行く。が、もしあなたは宗教を信じていますか、と改めて聞かれた場合には「ノー」と答える。
こうした宗教意識に対し、つぎのように深見氏はコメントしている。
それは日本人の信仰形態を、キリスト教や仏教やイスラム教や新宗教の学者的に、またヨーロッパの観念的なものの見方で見ちゃいけないということで、(中略)信じるか信じないか、そしてなぜ信じるかということではなくて、大事なのは神を感じることなんですね。これが原始信仰形態です。(中略)すなわち、神社の神様というのは、そこに神様がいるということを感じて、信心はあるけれど、信仰があるからお参りするわけではないということです。逆に言いますと、能とかお祭りや儀礼をやっている中で、神を感じるという宗教が成り立つのです。だから知的に神というものを知的に信じて敬って信仰するワーシップ(worship礼拝)のある宗教と神様を感じる信心としての宗教というのは、根本的に違うんだということです。
即ち、神道のような多神教が「感ずる宗教」であるとすれば、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のような一神教は「信ずる宗教」であるということであるが、そのどちらが良い、悪いということではない。ともあれ、今後の神道に対するアプローチとして、深見氏の言葉から、つぎの一節を掲げて参考に供したい。
このように宗教というのは信念と儀礼という二つの要素があり、いままでの宗教学が対象としていたのは信心の方が多かったのですが、今は儀礼の復権ということで、神道の本質をアピールする時代です。
『小泉八雲と源氏物語』
風呂鞏
月刊『すみよし』の愛読者には既にお気づきの如く、筆者は小泉八雲について学ぶことを無上の喜びとしており、大学の授業でも、学生達と共に八雲に就いての知識を深めるべく努力をしている。この欄でも乏しい知識ながら、八雲の色んな側面をご紹介する機会を与えられて、心底感謝しているのである。
前回六月号には「源氏物語千年紀」を書いた。思いつくまま書いているうち気づくと、八雲と源氏物語との関係について述べるスペースが足りなくなっていた。従って、今回は少しく前回の補充をさせて頂きたい。
このように述べると、八雲が源氏物語を読んだなどと聞いたことがない、と不審に思われる方も多いかもしれない。確かに日本文学者としてよく知られているドナルド・キーンやエドワード・サイデンステッカーなどは、みな若い頃ウェイリーの源氏物語訳を読んで感服し、日本文学に向かっている。然し幕末に日本を訪れ、日本通と言われたアーネスト・サトウやB・H・チェンバレンは源氏物語を評価しなかった。ましてや、日本語が全然読めなかった小泉八雲が源氏物語を読んだことなどあるわけが無いし、当然関心も何も有った筈が無い、と言われるに違いない。誠にごもっともの推論であり不思議はない。ところが驚くべきことに、八雲が源氏物語に関心持っていたのは事実であるし、源氏物語の一部を読んでいたふしもあるのである。
『源氏物語』が世界文学として高い評価を受けるようになったのは、ウェイリーの翻訳(一九二五)のお蔭であることは今更言うまでも無い。現在では、アーサー・ウェイリー(一八八九-一九六六)、エドワード・サイデンステッカー(一九二一-二〇〇六)、ロイヤル・タイラー(一九三六-)による三種の英訳版があることも周知のことである。
ところが、ウェイリーより早く『源氏物語』を英訳した人がいる。しかも日本人の末松謙澄である(注一)。若くして伊藤博文に才学を認められた末松は、一八七九(明治十二)年、ロンドン大使館の一等書記生として渡英、官暇にケンブリッジ大学で文学や法学を研究し、一八八六年帰朝した。渡英中、二十六歳の時、彼は、『湖月抄』を底本として『源氏物語』の英訳に取り組み、五十四帖のうちの最初の十七帖を、二五三頁の単行本にまとめて、一八八一(明治十四)年にロンドンのトルブナ―社から出版したのである。
イギリス人として、最初の日本文学史を書いたW・G・アストンも『源氏物語』の英訳を試みた断片が残っている。末松謙澄の英訳が出てから十八年後の一八九九年に、「日本の批評家たちが『源氏物語』全作品の中核だと考えている」帚木の巻の雨夜の品定めの箇所を訳している。
明治十四年、末松は日本の古典『源氏物語』を英文に訳して出版するという画期的な仕事を成し遂げた。“Genji Monogatari, the most celebrated of the classical Japanese Romances”(「日本の古典物語の中で最も有名な、源氏物語」)と題して出版した。今から百二十七年前の偉業である。ウェイリーに先立つこと四十三年、実に半世紀に近い昔のことである。西欧人はこの時初めて日本文化の粋と、紫式部という優れた女流作家の存在を知らされたと言っていい。
明治文化の研究家木村毅は「『源氏物語』最初の英訳者」(岩波書店「文学」一九七六年五月号)で、「明治十四年といえば、出版界も幼稚で、日本国内にいても源氏物語の原典を入手することが容易ではなかった。殊に飛行機もない時代に、イギリスにいて、極めて乏しい注釈書や辞書を頼りに、この難事業を敢えて企てた末松の篤志と勇気は敬服のほか無い。」と書いている。
実は、富山大学の「へルン文庫」に、この末松謙澄の英訳が架蔵されているのである。
読書家の八雲のことゆえ、当然末松の英訳『源氏物語』に目を通していたに違いない。
衣を打つ砧の音や、鳥・虫の声なども登場する、あの「夕顔」の世界は、身近な音に耳を澄まし続けた八雲の世界と通底するものがあるし、また『骨董』所収の「蛍」の中では、八雲は実際、次のように『源氏物語』に言及しているのである。
昔から、蛍は日本の詩歌に賛美されていたもので、初期の古文のなかにも、ちょいちょいその記事が見えている。たとえば、十世紀の末から十一世紀の初めに書かれた、あの有名な小説、源氏物語五十四帖のうちの一章は、「蛍」という題がついている。作者は、その中に、ある貴族が蛍をたくさん捕まえて、それを一時に放つという奇計を用い、闇に乗じて、ある貴婦人の顔をのぞき見ることができたという話を書いている。
二〇〇八年六月一日(日)の朝日新聞の文化欄に「ラフカディオ・ハーンと源氏物語」という興味ある記事が載っている。「音」がつなぐ異邦人という副題が示す如く、八雲の世界と紫式部の世界が、「音」という観点から呼応していることを指摘しており、興味深い。
既にお読みになった方もあろうが、参考のため、ご紹介申し上げる。
(注一)末松謙澄(すえまつ・けんちょう、一八五五-一九二〇)は豊前国前田村(現・福岡県行橋市)に安政二年に生まれた。東京日日新聞の記者となり、社説を執筆。伊藤博文の知遇を得て(二女生子と結婚)、外交官としてロンドンに赴任、ケンブリッジ大学で学ぶ。ロンドン赴任中、最初の『源氏物語』の英訳を書いた。「義経=ジンギスカン説」を唱える論文をイギリスで発表し、日本で大ブームを起こした。毛利家の依頼で、長州の歴史を調べ、維新史の一級資料『防長回天史』を編集したことでも有名。なお、玉江彦太郎著『若き日の末松謙澄』(海鳥社、一九九二)が出ている。
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