お知らせ
月刊すみよし著者紹介
〜照沼好文氏〜
昭和三年茨城県生まれ。元水府明徳会彰考館副館長。
著書『人間吉田茂』等多数。昭和六一年「吉田茂賞」受賞。
平成25年帰幽
〜風呂 鞏氏〜
早稲田大学大学院卒、比治山大学講師
月刊 「すみよし」
『小泉八雲と語学教育(五)』
風呂鞏
世の中には、自分と同じ様なことを考えている人が少なく共もう一人は存在すると言う。前回この欄で、熊本第五高等中学校におけるハーンの講義内容を筆記した学生のノート復元『ラフカディオ・ハーンの英語教育』に触れた。さらに、ハーンが五高の俊英達に向かって「英語は間違いをすればするほど、上達します―なぜなら、間違いをすることで、私たちは学ぶからです」とコメントし、それをわざわざ書きとらせていたことも紹介した。
ラジオ英会話講師遠山顕さんが、「ラジオ英会話」七月号のテキストで、『ラフカディオ・ハーンの英語教育』に言及し、同じ個所を英文で引用していることを発見、全く吃驚した。「言語習得の秘訣を穏やかな言い回しでしっかりと伝えており、この教えは、一世紀以上たった現在の学習者にも、そのまま適用する」と、ハーン礼賛の辞も付してある。
ところで、ハーンの講義内容は無論このような労わりの言葉だけではないことも伝えておく必要があろう。例えば、「風の音」の多種多様な特徴を取り上げて、風がまるで生きている“人”であるかのように、擬人法で紹介する授業などは、まさにハーンの真骨頂。学生たちが興味津々のうちに、自然と語彙を増やしていったであろうことは想像に難くない。風が「口笛をヒューと吹くように」(whistle)「むせび泣くように」(wail)「呻くように」(moan)「ひそひそと囁くように」(whisper)「悲鳴を上げるように」(shriek)音を立てるといった調子である。〈ノートには他にも数例の比喩表現が列挙されているが省略する〉
去る七月十三日、広島ラフカディオ・ハーンの会例会に岡倉登志氏(岡倉天心の曾孫)がわざわざ京都よりご出席下さった。天心生誕一五〇周年記念事業・「弁事堂」修復などの話もあったが、その翌日、NHK日曜美術館で、「岡倉天心 新たな日本美を目指せ ▽横山大観・菱田春草」が放映された。何たる僥倖、まさに“ジェ、ジェ!!”である。
日曜美術館でも紹介があったが、日露戦争の最中、天心が弟子の横山大観らとボストンの街を歩いていると、一人の若者に声を掛けられた。“What sort of ’nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?”(「お前達は何ニーズだ? チャイニーズか、ジャパニーズか、それともジャヴァニーズ(ジャワ人)か」)この東洋への偏見に満ちた侮辱的な台詞に対して、天心は、“We are Japanese gentlemen. But what kind of ’key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?”(「我々は日本の紳士である。ところで、あんたこそ何キーなんだ? ヤンキーか、ドンキー(ろば、馬鹿者)か、それともモンキーか」)と、返し技で一本取ったと云う。
大観が好んで語ったエピソードであるが、かくも天心の英語力は群を抜いていた。斉藤兆史著『英語達人列伝』(中公新書)によると、外国語の習得段階は、伝えたいことが上手く伝わらない段階、伝えたいことの大要が何とか伝わる段階、伝えたいことが正確に伝わる段階、伝えたいことが正確に伝わり、尚かつ洒落や皮肉が操れる段階、の四つに分けることが出来ると言う。天心はゆうに第四段階に達していたのである。
余談であるが、天心の痛快なエピソードとまるで対極にあるのが、先の国連拷問禁止委員会(日本は一九九九年に加入)の審査会の席上での日本代表の発言である。会議はスイス・ジュネーブで開催された。日本政府を代表して出席した外務省の上田秀明・人権人道大使がブチ切れ、席上「シャラップ!」(Shut up!)と怒鳴りつけたと云う。「シャラップ」とは、「テメエら黙ってろ」と格下の者を威嚇するような、不穏当に汚い言辞である。公的な会議の場で、ましてや世界各地の代表が集まる席で使うのは異例中の異例。日本外交の品位が問われる事態だと、非難が集中している。
インターネットYou Tube でも生の声が聴けるが、上田氏が中世の“the Middle Ages”と云おうとして“middle age”(中年)と発声したことが失笑を買った原因とする説もある。東大、ハーバートという超名門大学を卒業し、日本の外交官・外務省参与にまでなった人物の英語力が先の第一段階にも達していない無様さには、唯々呆れて物が言えない。
藤原正彦氏の「真の国際人とは、しかるべき教養をもち、一人の人間として海外でも尊敬される人物のことです」という教育の理念、この言葉の重みを忘れた戦後日本教育界の姿が此処に如実に表れているのではあるまいか。
テレビ、新聞などで既にご承知のことと思うが、去る六月四日、サッカー日本代表はアジア最終予選のオーストラリア戦を一対一で引き分けた。来年二〇一四年のワールドカップ(W杯)ブラジル大会への出場を早々と決めたのである。一点ビハインドでタイムアップ寸前、日本はまさかのペナルティを得た。キーパーが構えるゴールど真ん中を狙って蹴った目にも鮮やかな本田圭祐の同点ゴール。翌日テレビが朝から晩まで放映し続けるほど、日本国中が興奮の坩堝に巻き込まれた、歴史的なシーンであった。
二十六歳の本田は翌日の記者会見で、「最後は個が決める」と、チームメイトに高い意識と成長を求めたが、これが大きな話題を呼んだ。団体競技は、とかく“和”とか“チームのために”が強調される。世界の強豪と競うためには“個”がより大切なのだ、との発言は改めて我々に組織(チームワーク)と個の在り方へと眼を向けさせた。
ハーン最後の作品『日本―一つの試論』の中に「官制教育」という小論がある。その中で、ハーンは「西欧の教育の目的は、個人の能力と個人の性格の養成―つまり、力に富んだ独立人を産み出すことにある。ところで、日本の教育は、外見は西洋流でありながら、だいたいにおいて、従来も、またこんにちも、つねにまったく反対の方式に基づいて行われている。その目的は、個人を独立行為のために訓練するのではなくて、個人を共同的行動のために―つまり、厳格な社会の機構の中に、個人が正しい位置を占めるのに適するように訓練してきたのである。」(平井呈一訳)と述べている。
本田がいみじくも指摘する西欧と日本との間に横たわる生活パターンの溝、それを如何に埋めて行くか、これからの英語教育にも求められる大きな課題である。
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