住吉神社

月刊 「すみよし」

『八雲晩年の短編「ひまわり」』
風呂鞏

誤解のなきよう最初にお断りをするが、筆者は特に中国に対して悪意を持つ者ではない。しかし、中国では下手に人命救助などして病院に連れて行ったりすると、救助者が三十万円(この金額については自信がない)を前払い請求されたりする。よって、中国では交通事故の犠牲者などは、路上に放置され、通行者は見て見ぬふりで立ち去ると言う。真偽のほどは定かではないが、こうした記事を最近何処かで実際に読んだ覚えがある。

今年七月の終わり頃であったか、確か、新聞の見出しに「人命救助して罰金一万八千円」あるいは「命より罰金が大切」とあった。路上で倒れて歩けなくなっている人を見つけ、車を降りてその人を助けた。鎌倉の駅前近く、駐停車禁止でもない場所で、多くの人がその状況を目撃している。ところが、駐車監視員は、それを駐車違反だと言って罰金一万八千円を言い渡したと言うのである。決まりは決まり。ハザードをつけようが、心肺蘇生をしようが、関係ない。車を放置したあなたが悪い。それが法律だ。気に入らないなら裁判だ。警察は、「運が悪かったな」としか応じてくれない。このような納得の行かない事件があったらしい。ここ日本で実際に起こった出来事であるだけに、何とも遣る瀬無いし、中国の不条理と大同小異と言っても過言ではないであろう。

一方、台風十八号による大雨で増水した大阪市北区淀川の濁流に飛び込み、高槻市の小学四年男児を救助した中国人留学生・厳俊(イエンチュイン)さん(二六歳)の例もある。

去る十月一日には、JR横浜線の踏切で“悲劇”が起こった。警報が鳴っている踏切内の線路上に高齢者(七四歳の男性)が倒れて居た。それを見た村田奈津恵さん(四〇歳)が、父親の目の前で“助けなきゃ!”と叫んで車から飛び出すや、男性をレールの間に運んだ。男性は鎖骨を折ったが、九死に一生、命はからくも助かった。村田さん自身は電車に撥ねられた。非常ボタンを押した人もいたらしいが、残念なことにもう間に合わなかった。六日には通夜が行われ、安倍首相も「勇気を称える」との書状を贈った。菅官房長官は「他人に余り関心を払わない風潮の中で、自らの生命の危険を顧みずに救出に当たった行為を国民と共に胸に刻みたい」と述べた。然り美談である。自分の身を挺して他人の命を救助する覚悟のある日本人が今の世に存在したという事実に対し、哀悼の気持ちと同時に改めて日本人としての誇らしさも感じるのである。

小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーン晩年の作品『怪談』に「ひまわり」がある。都内の高田村近くで“向日葵”の花を見つけ、四十年前を回想する短編である。舞台はウェールズとなっているが、アイルランド西部メイヨ―州コングでの体験が基になっていると思える。一緒に遊んだ従兄弟のロバート(伯母キャサリンの次男)が、一八七八年、二等航海士としてシナ海を航行中、海に落ちた同僚を助けようとして溺死したのである。伯母キャサリンはとても歌が上手く、トマス・ムアの“Believe me, if…”(「春の日の花と輝く」)をよく歌ってくれたものだった。ハーンの小品「ひまわり」は、歌詞の中にある“ひまわり”と従兄弟ロバートへの追慕が重なって産み出されたものである。

元々この曲は、トーマス・モア(一七七九−一八五二)が作詞・作曲したものであるが、歌詞に表わしてあるように、皮膚病に罹ってしまった妻が、夫が自分のことをもう愛してくれないと思い込んでいる、そんな妻に捧げた歌なのである。ご存じかも知れぬが、堀内敬三氏の名訳「春の日の花と輝く」を以下に紹介する。ハーンの「ひまわり」には、この歌から最初の二行と最後の二行がいみじくも引用され、真実の愛とは何かを教えてくれる。

春の日の花と輝く麗しき姿の

いつしかに褪(あ)せてうつろう

世の冬は来るともわが心は変る日なく

御身(おんみ)をば慕いて愛はなお緑色濃  く

わが胸に生くべし

若き日の頬は清らにわずらいの影なく

御身いま艶(あで)に麗し

されど面あせてもわが心は変る日なく

御身をば慕いてひまわりの陽(ひ)をば恋うごと

とこしえに思わん

「広島ラフカディオ・ハーンの会」では、毎月の例会を出席者全員が英語でこの歌を歌うことでスタートすることにしている。「春の日の花と輝く」は日本の武士道を高く評価し、自己犠牲に大きな愛を見出していたハーン心性の淵源が、遥かなるアイルランドにあることを強く示唆するもので、ハーン顕彰にとってはまさに最適の歌なのではあるまいか。

余談だが、画家になったハーンの三男小泉清が「向日葵」という作品で一九四六年に読売賞を受賞しているし、早稲田大学でハーンの教えを受けた児童文学者・小川未明の童話「金の輪」は、明らかに恩師ハーンの「ひまわり」という作品を意識して書かれた作品である。また、作品「面影」には、北国のある町(未明は新潟県高田の出身)で竪琴のようなものを鳴らして通る乞食を見て、短編「ひまわり」の中で描かれる、ハーンが子供時代に出会った放浪のハ−プ弾きを思い合せて涙にくれる場面が出てくる。

ハーンは「ひまわり」の最後に、「人、その友のためにおのれの命を捨つ。愛のこれより大なるはなし」(聖書からの引用)と書き添え、従兄弟ロバートの死を讃えている。

JR横浜線踏切での村田さん決死の人命救助や、自らの生命を賭した勇気ある行為などを見るにつけ、高潔な品性や人間愛を育てる道徳教育の必要性を痛感する。

反省する心 − 祓いと正直
宮司 森脇宗彦

人生には波がある。

平坦な人生を送る人は、少ないと思う。人生はいい時もあり、わるい時もある。それらの波をのり越えてこそ人生である。

人生の波を乗り越えるには、一日の反省は欠かせない。一日一日を充実させるには、一日を反省してみることではなかろうかと思う。反省に反省し反省する。一日に三回反省する。「三省」という言葉が生まれた。

五省というのがある。東郷平八郎元帥の遺訓である。

海軍では「五省」を唱えて自分の一日の生活を反省したという。

一、至誠に悖(もと)るなかりしか

一、言行に恥ずるなかりしか

一、気力に?(か)くるなかりしか

一、努力に憾(うらみ)みなかりしか

一、不精(ぶしょう)に亘(わたる)るなかりしか

五つの反省をすると心の中がすっきりするであろう。気力が充実してくる。自分のいたらなさを自覚することによって、より自分に厳しく生きていくことができるであろう。

反省するということは心を清くする。心を清算することでもある。反省は「心の祓い」といえる。

神道は祓の信仰ともいわれる。反省は、心の祓であり、身の祓えは禊といえよう。

日々この祓のくりかえしによって、心を清浄に保つことが、人生において、常に前向きに生活する力を与えてくれるのである。

人生プラス思考というが、反省によってマイナスをプラスにする。まさに祓いの心と反省するのは同じことである。

祓の倫理化されたものが正直である。反省して正直な心にたちかえる。正直な心こそ人生に必要である。

正直をおしえたものに、「三社託宣」がある。三社とは天照皇太神宮、八幡大菩薩、春日大明神である。天照大御神の教えは「正直」である。

天照皇太神宮。

謀計は眼前の利潤たりといえども、必ず神明の罰に当たる

正直は一旦の依怙(えこ)に非ずといえども、終(つい)には日月の憐れみを蒙る

八幡大菩薩。

鉄丸を食となすといえども、心汚き人のものを受けず、

銅焔(どうえん)を座とすといえども、心穢れたる人の処に到らず

春日大明神。

千日の注連(しめ)を曳くといえども、邪見の家に到らず、

重服深厚たりといえども、慈悲の家に趣くべし(原漢文)

年の終わりには一年の反省をするときでもある。

日本人は年末には大掃除をし、一年の区切りとする。それを儀式化したのが大祓であるともいえる。大祓は年に二回行われ、六月、十二月の終わりに斎行されている。大祓の詞を唱え心の祓いをし、清々しい心で新年を迎えたいものである。

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