お知らせ
月刊すみよし著者紹介
〜照沼好文氏〜
昭和三年茨城県生まれ。元水府明徳会彰考館副館長。
著書『人間吉田茂』等多数。昭和六一年「吉田茂賞」受賞。
平成25年帰幽
〜風呂 鞏氏〜
早稲田大学大学院卒、比治山大学講師
月刊 「すみよし」
『乃木大将の直節』
照沼好文
この程、乃木希典(のぎまれすけ)大将自筆の書簡が、広島市内の学校法人修道学園に、同学園の同窓会によって寄贈された、と大きな話題を呼んだ。(平成二四・二・九付『読売新聞』)明治三十、八年(一九〇四―〇五)の日露戦争のなかで、難攻不落の戦闘として、わが軍が最も困難な戦いを強いられたのは、露軍の旅順要塞であった。その旅順攻略を指揮した将軍こそ第三軍総司令官乃木希典大将であった。
さて、この乃木書簡(明治四十三年七月六日付)は、修道学園の前身、旧制修道中学総理(理事長)であった佐藤正氏に宛てたものであった。(前掲『読売新聞』)これには、旅順攻略の折に戦死した乃木大将の二人の子息をいたみ、跡継ぎの養子縁組を大将に勧めた佐藤氏に、「小生共一代」で養子は考えていない。あまつさえ、天皇陛下や戦死した将兵の遺族に対し「申訳(もうしわけ)ナク」と述べ、子息二人の戦死は「愚父ノ面目ヲ添ヘタル」と、かえって面目を保てたと述べている。(前掲同)。
即ち、旅順攻略戦には一五五日を費し、五九、四〇〇人(うち戦死者一五、五〇〇人)の死傷者を出した。南山の戦では長男勝典(かつすけ)が戦死、弟保典(やすすけ)もまた二〇三高地の死闘の中で戦死を遂げた。こうした輝かしい勝利と数知れぬ犠牲を、乃木大将は担っていた。将軍の詩「凱旋」に、
王師百万強虜ヲ征シ/野戦攻城屍山ヲ作ス/愧ヅ我何ノ顔アツテ父老ニ看ヘン/凱旋[歌]今日幾人カ還ル
―(大意)百万ノ皇軍ハ強敵露軍ヲ征スル為、遠ク故国ヲ立チ満州ニ来ル、野戦ニモ攻城ニモ一スヂニ君国ノ為ニ奮戦シ、屍ハ累々山ヲナシタ、而モ其功 ヨリ今ヤ強敵ハ和ヲ乞イ、メデタク凱旋スルニ至ッタ、思エバ私ハ部下幾万ノ同胞ヲ失イ、ソノ上遂ニ死所ヲ得ズ、却ッテ今凱旋ノ数ニ入ッタ、何ノ面目ガアッテ、私ハ彼ラノ父老ニ顔ヲ会ワセルコトガ出来ヨウカ、衷心慚愧ニ堪エナイ、―
ところで、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』は、NHKでドラマ化されたりして、いろいろと話題を呼んだ。この作品の前年に、刊行された『殉死』にも、『坂の上の雲』と同じ視点で、司馬氏は第三軍の戦術の「無能説」を述べた。例えば、乃木と伊地知は、なおも二〇三高地に攻撃の主眼を置こうとせず、頑固に最初の強襲攻撃の方針をすてず、連日おびただしい死を累積させつつあり、そういう乃木や伊地知のすがたは、冷静な専門家の目からみれば無能とよりも狂人というにちかかった。(『殉死』、七三頁)
このように罵声を浴びせている。
嘗て、文芸批評家新保祐司氏は、『今に問う「言葉」』の中で、司馬氏の乃木大将の無能論を批判したあとに、日本人がいま回復すべき情理のあることを示唆している。
「痛烈な理想」を欠いた「戦後民主主義」的な価値観では、乃木大将の真価と悲劇をとらえることができない。今日の日本人に回復されるべきは、平板な人間主義を超える深い人間観と悲劇の感覚であろう。(平成二二年五月三日付『読売新聞』。)
この言葉は、まさに司馬氏に対する批判であると同時に、現代の私たちへのメッセージとして受取れる。
最後に、元伊勢神宮大宮司徳川敬翁の歌集『鶏鳴』から、乃木学習院長を敬慕した短歌を紹介して筆を置く。
学習院を訪ふ
木の下(もと)を乃木院長も歩まれしこの黷ネり太く茂りし
教室と寮の境の巨(おお)(けやき)触れて親しも古りたる幹に
深き心
乃木院長為書の軸に懸け替へて遠きよりの友を明日は迎ふる (四首の一首)
『西眼に映じたる柔道』
風呂鞏
大正十三年に渡仏し、その後ヨーロッパ・中近東などで日本の柔道を紹介し、普及に努めた人物がいる。名前は石黒敬七(一八九七−一九七四)。今の若者たちには馴染みはないが、サングラスをかけた柔道家として知られ、随筆家でもあった。彼の得意技の一つが「空気投」であり、同名の著書が昭和二三年にさくら書房から出ている。
この本の中に「嘉納先生の神業―印度洋上のファインプレー」として、今日でも語り草となっているエピソードが紹介されている。周知の如く、 講道館柔道を創始した嘉納治五郎(一八六〇―一九三八)は明治二十二年九月第一回目の外遊に横浜を出港、翌年帰朝した。その帰途印度洋上での出来事である。
フランス船の乗客同志で力くらべが始まり、勝ち残った大きなロシア人と嘉納が一本試合をすることとなった。治五郎がその男に腰投げを打つと、巨体は半円を描いてデッキに投げつけられた。しかも、投げっぱなしにすれば頭を打って気絶するかも知れないというので、治五郎は彼が倒れる瞬間に一寸頭の後ろを手の腹で支えてやった。余程余裕がないと出来ない芸であるが、見物は皆この意味を解して、勇猛な治五郎に驚嘆したのである。
熊本第五高等中学校(現在の熊本大学)では、初代校長野村彦四郎、二代校長平山太郎に次いで、一八九一年八月に嘉納が三代校長として着任した。嘉納校長を迎えたことにより、五高は武道興隆の気運が膨らんできた。柔道を奨励し、「瑞邦館」をつくり、武道振興に貢献した。記念館に展示してある嘉納の「順道制勝行不害人」の書は、講道館柔道の極意を表わしたもので、「逆らわずして勝つ」という精神を表わしたものである。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、明治二十四年(一八九一)十一月五高に着任した。ハーンを春日駅(現在の熊本駅)に出迎えた校長は、嘉納治五郎であった。ハーンは一目見るなり嘉納に好意を持った。また、この「逆らわずして勝つ」の説明に感嘆し、来日第二作『東の国から』の中に「柔術」を著し、欧米に柔道を紹介した。
ハーンは先ず「瑞邦館」(「瑞邦」は目出度い国の意味)について説明している。五高校庭に在る、百畳敷きの一階建ての建物。玄関の上に、皇族の一親王(注一)の手によって書かれた小さな扁額がある。中に入ると、例の「順道制勝行不害人」(道に順がえば、勝を制し、行いて人を害わず)という、嘉納の書が正面にかかっている。ほかに二枚絵が掛けてあり、それらは「白虎隊」の絵、それに同校の漢文教授・秋月胤永氏の肖像画であった。
ハーンの柔道観が続くが、引用文中の“大師範”とは勿論、嘉納校長を指している。
私が柔術のことは何にも知らずに、ただ自分ひとりの考えだけで、クラスの中ではあれが一番かなと思っていた、或る力の強い生徒がいた。ところが、その大師範にいわせると、その生徒には、どうもやってみると、非常にわざが教えにくいというのである。何故でしょうかといって聞いてみたら、こういう答えであった。「あの男は、自分の腕力に頼りおって、それを使いよるのでなあ」と。「柔術」という名称そのものが。すでに、「身を捨てて勝つ」という意味なのである。(平井呈一訳)
ハーンは柔術(すなわち柔道)を心身の鍛錬と考え、柔術への賞讃が披露される。
力に手向かうに力をもってせず、その代わりに、敵の攻撃する力をみちびき、利用して、そうして敵自身の力を借りて、敵を倒し、敵自身の勢いを借りて、敵を征服する、―いったい、こんな奇妙な教えを編み出したものが、今まで西洋人のうちに、一人でもあっただろうか。…それにしても、暴力の裏をかく手段として、これはまた、何という立派な知性の象徴であろう! 実に、柔術とは、防衛の学どころの段ではない。それは一つの哲学であり、経済学であり、倫理学でさえある。(そうだ、言い忘れたが、柔術の稽古の大部分は、まったくひたむきな精神鍛錬なのである。)いや、そういうことよりも何よりも、柔術こそは、この東洋において、こんにち以上の侵略を夢みている、かの列強国にもまだしかとは気づかれていない、日本の民族的天稟を、おのずから現わしたものなのである。
愈々今年四月から中学校保険体育において、男女とも武道(剣道、柔道、相撲)、ダンスが必修化される。武道では、武技・武術などから発生した、我が国固有の文化に積極的に取り組むことで、武道の伝統的な考え方を理解し、相手を尊重しながら練習や試合をすることを目標。特に礼儀を大切にして、心身の鍛錬をすると云う。
まことに素晴らしい教育目標に聞こえる。しかし筆者のような心配症にとっては、一抹の不安が残る。いつも教育現場を考慮せず、勝手に学習内容をいじくり回す文部科学省の上意下達方式にアレルギーを持つからである。それに、腕立て伏せでさえ骨折する中学生が今の教師になっている現状。彼らに数回の研修会で柔道が指導できるのであろうか。
或る県では、過去二八年間の柔道の授業で、一一四人もの生徒の事故(死者を含む)があったが、今春から、県下二二一校のうち七割が柔道を教える計画があるそうだ。一ヶ月前、教職員や保護者から成る市民団体が、安全対策が整うまで武道の必修化は見送りして欲しいと文科省に要望した。果たして、メンツを重んずる文科省の役人を動かせるかナ?
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