お知らせ
月刊すみよし著者紹介
~照沼好文氏~
昭和三年茨城県生まれ。元水府明徳会彰考館副館長。
著書『人間吉田茂』等多数。昭和六一年「吉田茂賞」受賞。
~風呂 鞏氏~
早稲田大学大学院卒、比治山大学講師
月刊 「すみよし」
『正気の復活をー』
照沼 好文
先月九日に、北京五輪の入賞者と大会関係者を招いた天皇、皇后両陛下主催の茶会が、皇居・宮殿で催され、両陛下をはじめ、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻の皇族方々が、選手ら一同をねぎらわれたという新聞記事(『讀賣新聞』、平成二〇年一〇月一〇日付)を読んだ。 その記事のなかで、とくに私が注目したのは、柔道の男子百キロ超級金メダリスト、石井慧選手が「両陛下に『自分は日本人として大和魂を持って天皇陛下のために戦いました』と話したところ、天皇陛下は笑っておられました」と述べていた言葉である(同上。)つまり、今日の開かれた社会における、この若者の言葉を奇異に思われた方もいたと思うが、一方戦後久しく聞かなかったこの言葉に、また若者の率直な言動に爽やかさを感じた方もいたのではなかろうか。いま、手元の『英文日本大事典』(講談社・一九九年一一月一〇日刊)「大和魂」の項を繙くと、「この語は、日本の国民に特有と思われる精神的な特質を述べるために、第二次世界大戦の終結まで使用されていた。」(英文、一七三五頁)と、まさに過去の言葉のような印象を与える記載であった。だが、果して「大和魂」は過去のものなのだろうか。
偶々、新渡戸稲造博士(にとべいなぞう、一八六三―一九三三)の名著『武士道』を見れば、「大和魂」について述べた文章が見える。(英文“Bushido”―The Soul of Japan―研究社、昭・十九・三・一〇)博士は、その中で大和魂が日本固有の民族精神であることを強調して、本居宣長の和歌「しき島のやまとごころを人とはば朝日ににほふ山ざくら花」を挙げ、このさくら花こそ「大和魂」の象徴であることを強調している(一七〇頁―一七四頁。)
一方、比較宗教学の泰斗、加藤玄智博士(一八七三―一九六五)は、「大和魂」の本質について述べているので、この文章を要約して、つぎに紹介してみよう。
万世一系の皇位を継承し給うご歴代の天皇は、現人神(あらひとがみ)にましまし、この御方に対し奉る国民の純忠至誠の奉仕精神は、大和魂として発動し、宗教的色彩をもって表われることは、自然の理である。(中略)このように現人神に対し奉って、宗教的熱誠をもって発現する大和魂は、則ち神道の大精神であり、その最も大切な本質である。これが今日になお生命ある神道の神髄であり、神道の真価とすべきすぐれたところである。日本の国民的宗教としての神道が、古今に亘って枯死せぬ生命の源泉が、ここにあると言わざるを得ない。(加藤博士著『神道の宗教学的新研究』の中の一部分、「二七二頁―四頁」を要約した。)
さらに、右の趣旨を一層簡潔にして、大和魂の意義を平易に述べているのは、明治の碩学栗田寛博士の言葉である。
凡(すべ)て邪教のはびこるは、神の道の衰へて、大和魂の失(う)せぬればなり。神道は大和魂の本にして、皇国の元気なり。(栗田博士著『天朝正学』、二四一頁―二四二頁。)
つまり、神道は「大和魂」の根源であり、日本の正気、活気の源泉であるが、一方「大和魂」が憔悴(しょうすい、やつれること)した時には、神道は衰え、日本の正気も衰弱して国運は傾くという。まさに、神道と日本固有の民族精神即ち大和魂とは表裏一体のものである。今日の暗澹とした世相にこそ、この民族固有の神道精神、大和魂を奮い起こさなければならない。
『日本人の微笑』
風呂鞏
日本を代表する映画監督、世界の巨匠黒澤明は、平成十(一九九八)年九月六日、脳卒中で死去した。享年八十八歳である。光陰矢の如し、今年は歿後十年の記念すべき年に当たる。NHKがタイミングよく「歿後十年 黒澤明特集」を組み、BS-2で黒澤作品の放映を行っている。黒澤の監督作品全三十作、すなわち、昭和十八年の『姿三四郎』から平成五年の『まあだだよ』まですべてを放映する壮大なプロジェクトである。黒澤フアンには堪らない企画であり、黒澤ブームの再燃を思わせる。四月五日の『羅生門』からスタートを切ったこの特集も、既に九月末で三分の二が終った。最終回に放映される『まあだだよ』は十二月二十五日が予定されている。
黒澤監督と言えば、身長一八二センチ、体重八十九キロの巨漢で、すぐ怒鳴り、頑固一徹の独裁者というイメージがあった。しかし長女和子氏によると、子供の頃は虚弱体質で泣き虫、大人になってからは心優しいヒューマニストであったと言う。昭和五十三年、黒澤が六十八歳で自分の前半生を回想した『蝦蟇の油』なる自伝がある。長女和子氏の言葉を裏付けるエピソード、秀才であった兄丙午の教え、自信を持たせてもらった黒田小学校の担任立川精治先生、京華中学校の小原要逸、岩根五良の両先生、そして先輩山本嘉次郎監督の薫陶など、黒澤を育てた人生最良の人々とのめぐり合いが赤裸々に綴られている。
さて、『姿三四郎』で鮮烈なデビューを飾り、一九五一年ヴェニス国際映画祭でグランプリを受賞した『羅生門』以来、常に世界の注目を浴びつづける黒澤、その黒沢最大のヒット作と言えば、『七人の侍』(昭和二十九年)が先ず浮かぶ。黒澤ファンならずとも、これは至極自然の連想であろう。しかし、黒澤が七十九歳にして完成させた作品にも注目したい。それは『夢』と題する問題作で、黒澤の新境地が覗えるものである。
平成二(一九九〇)年に制作された『夢』は、八つの物語から成るオムニバス映画である。それぞれの物語の始めに“こんな夢を見た”という字幕が出るよう統一され、いずれも黒澤自身が見た夢であるという形で展開される。「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤富士」「鬼哭」「水車のある村」といった、喪われゆく自然へのノスタルジーが夢幻をさまよい、美しい絵物語を織り上げている。おなじ年に岩波書店から出版された絵コンテ『夢』の序文に、黒澤自身による次の解説がある。
私は、夢と云うものは、人間が目覚めている時に、心の底に、かくしていた切実な願望が、眠っている時に自由になってあふれ出し、頭の中に一つの出来事として描き出したものだと思います。夢の中の出来事が現実にはあり得ない奇怪な現象を見せているのに、それが実に生々とした実感を持ち、現実の体験の様に思われるのは、夢と云うものが純粋で切実な人間の願望の結晶だからだと思います。(中略)人間は、夢を見ている時、天才なのです。天才の様に大胆で勇敢なのです。
ところで、小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンの今日的意義(未来性)を問う際に、人々が持ち出すのが、近頃よく耳にする「共生」という用語である。
八雲は、アメリカ時代、ニューオーリンズに十年間住んだ。カリブ海のマルティ二―ク島にも二年近くいた。『クレオール料理』(一八八五)という本を出すなど、クレオール文化に強い関心を寄せ、その中に入り込んだ。即ち、異文化が接触したり、融合したり、共生したりすることを肯定し、評価したのである。日本にやって来てからは、「日本の庭」(注一)に書かれている如く、日本のアニミズム思想、日本の自然観を高く評価するようになった。東大の講義ではアイルランド時代を回想し「過ぎし古しえの時、森や川には目に見えないものたちが住んでいた。(中略)踏みしめる大地、草花の生い茂る野、振り仰ぐ雲、天なる光、いずれも神秘と霊に満ち溢れているのだった」と語った。
このように、八雲は異文化との共生、自然あるいは異界との共生、といった観点から、人間を相対的に見つめることが出来た。換言すれば、“他者への思いやり”に目を向けていた人であった。そうした意味で、東大の講義「小説における超自然的なものの価値」の中の「夢」について語る次の言葉には重みがある。
たしかに夢は、恐怖とロマンスという芸術要素以上に、文学にそなわる最も透徹した美しい霊的な優しさというものの、供給源をなしている。というのは夢の中では、今は亡き愛する人々が、われわれのもとに帰って来ることもしばしばあることだし、彼等はまるで実際に生きているかのような装いをしたり、語りかけたりして、彼等についてそうあって欲しいと思うことが、何から何まで実現するからである。(中略)単なる日常経験の彼方にあるものを対象とし、そこに美なるものを汲み尽そうとする文学にとって、夢こそは根本源泉に他ならないのである。(立野正裕訳)
黒澤は大変な読書家であった。映画『夢』の第三話「雪あらし」は八雲の名品「雪女」を想起させるものがある。しかし、志賀直哉や芥川龍之介などと違って、八雲から直接の影響を受けたと思える明らかな証拠はない。黒澤が生涯胸中に秘めてきた想いを託した「夢」を通して、奇しくも八雲のそれと通底する感性が見られるのは驚きだ。二人とも近代化が滅ぼしたものに気づき、それに哀惜の情を感じていたことは間違いない。
(注一)『日本瞥見記』(一八九四)の一章。「樹木には―少なくとも、日本の国の樹木には魂があるという考え、これは日本のウメの木やサクラの木を見たことがある人なら、さして不自然な想像とは思わないだろう」と八雲は語っている。
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