住吉神社

月刊 「すみよし」

『水戸弘道館の被災を案ず』
 照沼 好文 

この度の東北関東大震災における被害は、想像に絶するものがあった。殊に、二代藩主斉昭が国特別史跡・旧水戸藩の藩校弘道館で、正庁の土壁一部がくずれ、「学生警鐘」の鐘楼が全壊、そして八卦堂内の「弘道館記」の石刻文が破損したという被害には驚いた。さきの大戦では、水戸大空襲(昭和二十年八月一日―二日)によって、市街は壊滅状態であった。当時、中学校の生徒であった私たちは、この弘道館の構内を、通学の往復の近道として通りぬけていたことを思い出す。

この構内では、とくに「弘道館記」を収めた碑堂の「八卦堂」が消失し、なかの館記碑も損傷をうけていた。その時と同じ現在の碑の石材は、常陸太田市内から遠眺できる真弓山から切りだされた寒水石(かんすいせき)が使われている。高さ十尺五寸(約三一八糎)、幅六尺三寸(約一九一糎)、厚さ一尺八寸(約五五糎)。また、台座の附石は、高さ二尺(約六一糎)、幅五尺(約一五一糎)、長さ十尺(約三〇三糎)というまさに巨大な石材である。

また、藩校弘道館建学の由来を述べた「弘道館記」は、斉昭の代表的な隷(れい)書の書蹟である。とくに、斉昭の書蹟は篆隷(てんれい)の書体を好み、「其の気象衆に傑出し、且つ仁慈の心極めて深か」った(『水戸藩史料』別巻(上))という。そして、この館記に凝縮(ぎょうしゅく)された「弘道」の言葉は、「人の道は天地自然の秩序であり、道徳である」ことが、のちに深く理解できるようになった。

ところで、弘道館の正庁に入ると、床に「弘道館記」の大幅拓本が掛かり、そのナゲシに、斉昭真筆の「游於藝」(げいにあそぶ)という篆書(てんしょ)の大扁額が掛けてある。斉昭は中国の古典『論語』からこの言葉をとって、弘道館に学ぶ子弟の指標とした。「芸」は、礼(礼儀作法)、楽(音楽)、射(弓)、御(馬術)、書(書道)、数(算数)の六芸であり、文武の諸芸を学びながら、自己の信念をやりとげよ、と諭した言葉である。現代流に解釈すれば、文武岐(わか)れず、知と遊、遊び心の原点を述べた言葉と理解してよかろう。

水戸と云えば、まず梅を思い浮かべる。その水戸を梅の名所としたのは、斉昭の力にまつところが大きかった。弘道館構内の梅は、斉昭の開設した偕楽園の梅とともに有名であり、弘道館の敷地には、約八百本の老梅がある。例年には、全国にさきがけて、水戸の梅の開花が知らされるが、ことしは東北関東大震災のため、その花だよりを聞くことがなかった。

嘗て、二代藩主光圀は修史局である「彰考館」の庭に文学の盛衰を占うため、一本の梅樹を植えたという。その故事に従えば、この大震災は、衰退の時期にあたるのであろう。しかし、この震災における衰退の時期は、長く続くことはないだろう。「正気時に光を放つ」時代は必ず訪れる。こんなことを思いながら、水戸弘道館の被震のニュースを聞いた。そして、天皇陛下は、「これからの苦難」を「さまざまな形で少しでも多く分かち合って、」国の復興に向って努力していくよう仰せられた。それは、滋味にみちた感銘深いお言葉であった。

『サッカー界の小泉八雲』
風呂鞏

 

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、明治三六(一九〇三)年、六年七か月講師を勤めた東京大学文科大学を解職された。ハーンは学長井上哲次郎名で解雇通知を受け取ったが、『萬朝報』に任期終了の記事が載り、英文科の学生たちの留任運動に発展した。

ハーンの後任は夏目漱石、上田敏、アーサー・ロイドの三名であった。イギリス留学から帰朝して後任となった夏目漱石が、妻の鏡子に向かって「小泉先生は英文学の泰斗でもあり、また文豪として世界に響いたえらい方であるのに、自分のような書生上がりのものが、その後釜にすわったところで、とうていりっぱな講義ができるわけのものでもない、また学生が満足してくれる道理もない」と愚痴をこぼしたのは、『漱石の思い出』という本に書かれている有名な話だ。

東大におけるハーンの講義は学生間に大変な人気であった。大学の同僚の一人アーネスト・フォクスウェルが回想している。ある日、ハーンに用事があって授業中の教室に行くと、異様な光景を目撃した。 驚くべきことに、あのエリート達全員が涙を流しながらハーンの講義に聞き入っていたのである。 ハーンは不遇であった自己の幼児体験を混じた英詩の講義をしていたのだ。ハーンの講義は“知”ではなく“情”に重きを置くものであり、人を虜にしてしまう催眠術的効果、魅力があったのである。

ハーンの留任運動に熱中し過ぎて東大を留年した小山内薫や、ハーンのいない文科なんか意味がない、と言って法科に転じた川田順、のような学生がいたのも不思議でない。

こうした学生達の多くは、やがて金沢や広島などで教壇に立ち、ハーンへの熱い思いを伝えた。 広島の高等師範学校で教えた小日向定次郎は、ハーン先生の思い出を綴る文の中で、「お講義」「お眼」「お声」といった風に、必ず“お”を付けて敬意を表しているし、同じ広島高師や京都三高で教えた栗原基は常に「すべての蔵書を失っても、ハーン先生の(講義)ノートだけあればよい」と語っていたと言う。

先日或るテレビ番組を観ていると、スポーツライターの二宮清純氏が「ザッケローニ監督はサッカー界の小泉八雲」と評する声が聞こえて来た。内心ギョッとした。正直、先に言われてしまったか、と残念な気もした。しかしその直観力は大いに評価したい。失礼ながら、二宮氏がハーンのこと、特にその教師像をどの程度理解されているか知らない。もちろん、横顔が何となく似ている程度の浅薄な類推からでは有り得ない。しかしザッケローニ監督の考え方と言うか、日本人の心を理解した上でのチーム操縦法、集団心理把握力を小泉八雲に喩えるのは、全く同感、まさに的を得た指摘であると敬意を表する次第である。

ご存じのように、去る一月末、サッカーの王者を決めるアジア・カップの決勝戦があった。早朝までテレビで観戦していた全国のファンの期待に違わず、若い日本代表が見事オーストラリアを破り、四度目アジアの頂点に立った。日本国民は歓喜に沸き、決勝点のゴールをあげた李忠成選手の豪快で芸術的なボレーシュートには完全に魅了された。その後、この劇的なシーンは「感動をもう一度、ザック流勝利の方程式」などのタイトルの下に、各テレビ局が何十回となく繰り返し放映し、その度ごとに感激を新たにした人は数知れないであろう。試合毎に違った選手の活躍が光り、感動の連続であったが、優勝決定の瞬間に、選手たちがザック監督のもとに駆け寄り、固く抱き合った光景も涙の出るほど印象的であった。

昨夏就任したばかりのザッケローニ監督は、一九五三年生まれの五七歳。イタリアのセリエAでACミラン、インテル、ユヴェントスのビッグ3を率いた経験を有し、ACミラン監督時代はサッカー選手協会年間最優秀監督賞を獲得している。しかし、日本代表にとっては初のイタリア人指揮者であり、その采配には未知数が多かった。

今回の勝利で、俄然彼を見る目が一変した。「武士道や日本文化を勉強したい」と言って監督を引き受けたザッケローニは、優勝のインタビューでも、先ず出場できなかったメンバーに感謝した。強い団結力を強調すると共に、選手一人一人との会話を大切にし、チーム全体に勇気と自信を植え付けた。堅実、温厚、地味との評判から、一躍人心操縦術に長け、勝利への方程式を熟知した名監督との評価が高まったのである。

ハーンは松江で生涯初めて教壇に立った。想像力の価値について講演をし、英作文教育を通じて、日本人の個性の無さを痛感した。また日本人が食事の貧しさに耐えながら、西洋の列強に伍して行く学力をつけねばならぬことにも胸を痛めた。

ザック監督が選手自らの創造性を強調し、彼等の個性を伸ばす起用ぶりを見ると、まさにハーンの姿と重なる部分が多い。オーストラリア選手たちとの体力差が歴然とした劣勢の中でも、チームワークの大切さを叫び、選手一人一人への適格な助言を忘れなかった。最後は、「プレーするのではない、勝つのだ」という監督の一言が魔法の杖となった。

こうした濃密な絆は、“情”に訴える教育を通して、学生達に日本人としての誇りと自信を持たせ、学生達からも敬慕された小泉八雲の教師像そのものなのである。

教育や政治の世界で、リーダーシップの欠如が声高に叫ばれている。厳しい国際環境の中で喘ぐ今の我々にとって、日本の心を大切にして団結力を強調し、個性の違う選手を上手く束ねるなど、采配の妙を見せる名監督ザッケローニから学ぶことは決して少なくない。

最近は「ハーン現象」とやらで、小泉八雲に親しむ人も増えてきた。ハーンの今日性という観点や、防災教育のバイブル「稲むらの火」などを通しても、八雲の多様性への認知度は格段に高まっている。

サッカー界の小泉八雲をイメージさせるザック監督には、今後一層の感動を期待したい。それと共に、「武士道と日本文化」を誇る日本人が増えて行くことを心底から祈る。

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