住吉神社

月刊 「すみよし」

『心の芸術家、東山魁夷画伯のことば』
照沼 好文 

この夏には、特別な目的があったわけではなく、思いつくままに、日本画の巨匠東山魁夷(ひがしやま かいい)画伯の短篇随筆集『日本の美を求めて』を読んで、深い感銘を受けた。とくに、東山画伯は、この『日本の美を求めて』(『講談社学術文庫』、昭五一・一二・一〇刊。)の中で、つぎのようなことを述べている。

私が常に作品のモティーフにしたり、随筆に書いているのは、清澄な自然と素朴な人間性に触れての感動が主である。戦後の時代の激しく急な進みの中で、私自身、時代離れのした道を歩んでいると思う時が多かった。しかし、今では、それで良かったと思っているし、また、それをこれからも貫き通したいと念じている。

なぜなら、現代は文明の急速度の進展が自然と人間、人間と人間の間のバランスを崩し、地上の全存在の生存の意義と尊さを見失う危険性が、高まって来たことを感じるからである。…清澄な自然と、素朴な人間性を大切にすることは、人間デモーニッシュ(物につかれたような)な暴走を制御する力の一つではないだろうか。人はもっと謙虚に自然を、風景を見つめるべきである。…(三〇頁)

このように、東山画伯は私たちに呼びかけている。では、「風景」とは何であろうか、また、どんな意味があるのであろうか。こうした問いに対して、つぎのように答えている。

私は人間的な感動が基底に無くて、風景を美しいと見ることは在り得ないと信じている。風景は、いわば人間の心の祈りである。私は清澄な風景を描きたいと思っている。汚染され、荒された風景が、人間の心の救いであり得るはずがない。風景は心の鏡である。庭はその家に住む人の心を最もよく表すものであり、山林にも田園にもそこには住む人々の心が映し出されている。河も海も同じである。その国の風景は、その国民の心を象徴すると言えよう。(一六頁)

とくに、「風景は、いわば人間の心の祈り」或いは「風景は心の鏡である」という言葉は、謙虚に拝聴すべきであると思う。

ところで、東山画伯は、日本独自の美の特質を、西洋の場合との比較から浮彫りにしている。たとえば、つぎのような言葉に、端的にうかがわれる。

春の芽ばえ、夏の茂り、秋のよそおい、冬の清浄―そうした自然の流転の相(すがた)を眺めて、人間の生と死の宿命を、また喜びと悲しみを、私ども日本人は、すでに仏教渡来以前からはだに感じていたのではないでしょうか。…美の問題は風土ときりはなして考えることは絶対にできないと考えられるからです。

また、日本人は哲学的な民族ではないといわれておりますけれども、それは、ヨーロッパのような知性あるいは理性によって深く考え、分析し、整理し、学術的な体系を打ち立てるという方向にいかなかっただけに、じっさいには、自然の生命の把握、人間の心の深層、そういうものを直感的にとらえてきていると思うのです。それは知的よりも情感の比重が大きいために、むしろ芸術的な方面で輝きとなって現れていると思われます。すべて人間の生きている世界を、ただ知性で割りきって考えることには無理があります。こうして私には、日本人の情感がデリカシー(繊細せんさい)というのは世界に比類のないものだと思われるのです。(九二頁九三頁)

また、東山画伯は、日本人の特質を、次のようにも述べている。

古い民族でありながら、現在なお清新な活力をもちつづけている日本人の特質は、…外来文化の積極的な摂取と、それに対する強力な咀嚼力と、柔軟性をもつ融和にあるのだろうと思うのです。そして、つねに日本的特質を失わない秘密は、じつは「やまとしうるはし」という、この民族の最も若い時代からの根源的な愛着、また、日本人の心の底につねに郷愁として流れているその気持ち―それが大きく作用していると思われてならないのです。(一〇一頁)

しかし、いまこの風景は、国土の開発、大きな自然災害などによって変貌し、或いは荒廃しつつある。こうした状況の変化に対して、東山画伯は、

日本の山や海や野の、何という荒れようであろうか。また、競って核爆発の灰を大気の中に振り撒(ま)く国々の、何という無謀な所業であろうか。…母なる大地を、私達はもっと清浄に保たねばならない。なぜなら、それは生命の源泉だからである。自然と調和して生きる素朴な心が必要である。人工の楽園に生命の輝きは宿らない。/私達の風景という問題には、今こそ私達人間の生存が懸っていることを、否応なしに深く考えざるを得ない現在である。(一六頁一七頁)

と、このように警告している。謙虚に拝聴すべき言葉である。

『「ゴーギャン展」を観る』
風呂鞏

二十世紀前半を代表する英国作家の一人にサマセット・モーム(一八七四―一九六五)がいる。第一次世界大戦が終って間もない一九一九年の春、四十五歳のモームは『月と六ペンス』という作品を発表した。四〇歳になった男が突如証券会社を辞め、十七年間も連れ添った妻と子供二人の家族を棄てて、絵を描くという芸術の魔力に取り憑かれる。そうした男のエゴイズムをシニカルな筆致で描いた傑作である。主人公ストリックランドが、画家のポール・ゴーギャンをモデルにした人物であることは余りにも有名だ。

いま東京国立近代美術館で、「ゴーギャン展」が七月三日から九月二十三日まで開催されている。その目玉は何と言っても、ゴーギャンの最高傑作と称される最晩年の作品、ボストン美術館所蔵で今回日本初公開になる「我々はどこから来たのか 我々は何者か

我々はどこへ行くのか」である。入り口で貰うパンフレットに次の説明文がある。

十九世紀末の爛熟した西欧文明に背を向け、南海の孤島タヒチにひとり向った画家ポール・ゴーギャン(一八四八-一九〇三)。その波乱に満ちた生涯は、芸術に身を捧げた孤独な放浪の画家の典型と言えるでしょう。自らの内なる「野生」に目覚めたゴーギャンは、その特異な想像力の芽を育む「楽園」を求めて、ブルターニュ、マルチニーク島、南仏アルル、そして二度のタヒチ行きと、終わりのない旅を繰返しました。その課程で、自ずと人間の生と死、文明と未開といった根源的な主題に行き着きます。このような人間存在に関する深い感情や思索を造形的に表現すること、これがゴーギャンの絵画の課題となりました。タヒチで制作された畢生の大作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(一八九七-九八年)は、その芸術の集大成であり、後世に残されたゴーギャンの精神的な遺言ともいうべき作品です。日本初公開となるこの傑作を中心に、国内外から集められた油彩・版画・彫刻約五〇点の作品を通して、ゴーギャンの芸術を今日的な視点から捉えなおすことを試みます。

先に述べたモームのストリックランド像は、ゴーギャン神話とタヒチで自ら収集した噂話などをベースに、作家モームが独自の芸術家像を創造したものである。ゴーギャンの代表作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》は、『月と六ペンス』の中では、盲目のストリックランドが家の壁面いっぱいに描き、死後焼却せよと(現地の)妻に命じて、最後に残す飾り絵として描かれている。

パリやブルターニュで画家を志していたゴーギャンは、一八八七年ヨーロッパを離れ、カリブ海東南部に浮ぶ島・仏領マルチニークへ向う。途中資金を貯めるためパナマで、運河開発の労働者として働くが、運悪く工事縮小のため二週間で解雇される。熱病を患いながら着の身着のままで、マルチニークのサン・ピエール港に上陸した。

ゴーギャンがマルチニークに来た一八八七年の夏、やはりこの島に来た人物がいる。

日本で小泉八雲となるラフカディオ・ハーン(一八五〇―一九〇四)である。彼は数ヶ月前に作家になるつもりでニューオーリンズの新聞社を辞めていた。ハーパー社の執筆依頼で、ニューヨークの港からバラクーダ号に乗り、マルチ二―クに向ったのは奇しくも一八八七年の夏であった。その同じ年、二人は偶然にも港町サン・ピエールの周辺に住み、両者の距離は徒歩で十五分ほどの近さだったという。池辺一郎『未完のゴーガン』(みすず書房)に次の文がある。

ヨーロッパ文明に背を向ける運命を持った二人が、それぞれ最終の地に行き着く前に、偶然同じ島の同じ町に同じ時にいた。あるいはサン・ピエールの椰子の並木道ですれ違ったかもしれないが、無名画家、無名文士の二人が名乗り合ったわけもない。ただハーンのマルチニック紀行文(筆者注:『仏領西印度の二年間』)は、実に鮮やかにこの島を描いていて、ゴーギャンの絵の原点を感じさせる力がある。

サン・ピエールのカルベには「ゴーギャン博物館」がある。そこでは画家ゴーギャンの紹介の他に、ハーン関係の展示もあり、「マルチニークにおけるゴーギャンとハーン」と題する論考を載せた小冊子(仏文)も販売している。

“帰去来島”と呼ばれるこの島を離れた後、ゴーギャンは南太平洋のタヒチで画風を確立させ、ハーンは日本で飛躍を遂げた。ゴーギャンの画風はマルチニーク滞在以後、印象派のそれを超越した独特のものに変わって行き、ハーンも来日後、マルチニークでのフィールドワークの経験を遺憾なく発揮して『知られざる日本の面影』を仕上げた。また、松江滞在中は、島根県教育会で「西印度雑話」と題して熱帯地方の自然力が人間と文明の進歩に及ぼす甚大な影響について、講演をしている。

万国博覧会などに象徴される「進歩」を合い言葉に、十九世紀末の西欧が、右肩上がりの人類の発展を無批判に信じていた時代、既に文明の行き詰まりを鋭敏に感じとり、北と南、文明と未開を対比させながら、人間の存在そのものに関する根源的な“大疑問”(所謂「十九世紀の苦悩」)を自らに問いかけていた芸術家や文学者がいたのである。

ゴーギャンとハーンが奇しくも同じ時期、マルチニーク島で隣り合わせに住んでいたという事実は、如何にも象徴的だ。彼らは「何処から、何処へ」という、一見単純だが、人間の存在そのものに関わる根源的な大疑問を課題としていた。混迷の時代に生きる我々が、この疑問を今日的課題として受け止め、改めて自らに問い直してみることは、極めて意義深いことではあるまいか。そうした意味からも、今回の東京国立近代美術館における「ゴーギャン展」は、まことにタイミング好くその機会を提供してくれる。
唐突にクラークという名前を聞いても、その人物像に戸惑われるかもしれない。

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