住吉神社

月刊 「すみよし」

『至誠の人 ― 「吉田茂書翰追補」を読む』
 照沼 好文 

さきに『吉田茂書翰』(吉田茂記念事業団編・中央公論社刊)が平成六年に出版されたが、今回改めて『吉田茂書翰追補』(中央公論新社刊)が公刊された。今回の『追補』には、明治末期から吉田元首相が亡くなる昭和四十二年までの間に書き送った書簡二百四十通が収録されているが、さきの『吉田茂書翰』とあわせて総数約千四百通が一般に公開されたことになる。これらはいずれも、昭和史研究の第一級資料として、注目される。

とくに、今回出版の『吉田茂書翰追補』には、親米英派の同志加納久朗(横浜正金銀行ロンドン支店支配人)宛書簡二十九通、人間味溢れる長男健一、次男正男、三女麻生和子宛書簡など、新たに発見された一級資料である。また、これらの書簡はただ研究者だけのものではなく、一般の人々にも滋味溢れる吉田茂の人間性を理解する糧(かて)となると思う。

吉田書簡の蒐集、解読、そして本書編さんに終始携わった柴田紳一氏(国学院大学准教授)は、

「書く」ということは、「考える」ことの結実であって、一通一通に込められた吉田の、広くは世界全体から国家・国民、そして狭くは知人・家族等に向けられた思いの丈が手紙には凝縮されている。解読しながらその熱い情念に圧倒されること、しばしばであった。憂慮・配慮・苦悩・歓喜、実によく考えよく書いた人だと思う。(『讀賣新聞』平成二三年三月十四日号掲載。)

と述懐された。

とくに、今回出版の『追補』版によって、さきの『書翰』集中の「至誠の人」吉田翁の信念、或いは明治人の気概が、より深く理解できた。

それは、昭和二十七年十一月十日の皇太子殿下の御成人式、立太子礼の折に、吉田翁は当時総理大臣として国民を代表し、寿詞を奉読申しあげた。とくに、立太子礼の際には御前に参進し、寿詞の文面にない「臣」を加えて奉読したことで、大きな話題をよんだ。

その直後、国文学者・歌人佐佐木信綱博士が吉田翁宛に送った書簡一通を、今回の『追補』版は収録している。

昭和[二十七]年十一月十九日付、吉田茂

宛佐佐木信綱書翰

立太子の御礼伊勢大和御参拝諸事無御滞御すみ被遊まことニ御同慶之至ニ奉存上候、

皇子の宮の萬世神のうねびの山まつ風

頌歌十二章[略]御寸暇御よむ下さらバと御目にかけ候、朝夕は冷気国家之為御自愛祈上候、和子様にもよろしく御鶴声祈上候、頓首

十一月十九日

佐佐木信綱

吉田大人御許      (二〇四頁)

以上の返書として、吉田書簡がさきの『書翰』集に収録されている。

昭和二十七年十一月二十五日付、佐佐木信綱宛吉田茂書翰

拝復 其後慮外御疎情ニ相過候、益々御壮剛奉賀候、扨而今度立太子式無恙相済(ミ)、分けて 殿下御立派ニ拝せられ、御世萬々歳と、唯々感泣之外無之、誠ニ御同慶之至ニ奉存候、又御近詠数々御送被下難有奉存候、同好之士に回覧喜びを分ち可申、御礼迄不取敢一書如此候、初冬御自愛専一ニ奉存候、敬具

十一月廿五日        吉田茂

佐佐木老先生 侍史

このように、今回の出版の『吉田茂書翰追補』と、さきの『吉田茂書翰』との書簡によって、吉田翁の信念、或いは明治人としての佐佐木博士の気概など―明治人の高潔な気風さえ、窺うことができた。

この貴重な両書を、是非自家薬籠のものとはせず、一般の方々にも活用していただけるよう、註釈書などの完成を願うこと切である。

『服部一三と明治三陸地震津波』
風呂鞏

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、一九〇三年三月、長年勤めた東京帝国大学を解雇されたが、翌年三月には、破格の待遇で早稲田大学文学部講師として招聘された。その際、ハーンは早稲田大学に簡単な履歴書を提出した。ハーンの伝記としては今や古典と言える、田部隆次著『小泉八雲』(北星堂)の第一章冒頭に、その履歴書の和訳が載っている。やや長いが、此処に全文を載せる(注一)。

「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、元英国臣民。一八五〇年イオニア列島リューカディア(サンタ・モウラ)に生る。アイルランド、英国、ウェールズ(及び一時は仏国)で成人す。一八六九年、アメリカに渡り、印刷人及び新聞記者となり、遂にニューオーリンズ新聞の文学部主筆となる。ニューオーリンズで当時ニューオーリンズ博覧会の事務官、後兵庫県知事の服部一三氏に会う。一八八七年より一八八九年まで仏領西印度のマルティニークに滞在。一八九〇年、ハーパー兄弟書肆より日本に派遣される。当時の文部次官服部氏の好意により、出雲松江の尋常中学校に於て英語教師の地位を得る。一八九一年の秋、熊本に赴き、第五高等中学校に教えて一八九四年に到る。一八九四年、神戸に赴き、暫時『神戸クロニクル』の記者となる。一八九五年、日本臣民となる。一八九六年、東京帝国大学に招かれて講師となり、一九〇三年まで英文学の講座を担当す。―その間六年七ヶ月。日本に関する著書十一部あり。」(服部一三を文部次官としたのはハーンの思い違い、実は普通学務局長)

この短い履歴書の中に、服部への言及が実に二か所もある。ハーンの運命を決定づけた、ニューオーリンズ万博での服部との出遭い、服部の斡旋で松江の中学校に就職できたこと、この二つである。ハーンが如何に服部に対して恩義を感じていたかが読み取れる。

そういえば、NHKテレビ『日本の面影』(一九八四)のシナリオを書いた山田太一氏も、四部構成の舞台をニューオーリンズから始め、ドラマ全体が「服部の声」という語りを通して進行するように、ハーンと服部の関係を極めて重要視している。

服部一三(一八五一―一九二九)は、嘉永四年、長州藩士渡邊兵蔵の三男として、山口県吉敷郡吉敷村に生まれた。慶応三年、長崎に遊学、英国人ロベルトソン(のちの英総領事)及びアストン(のちの領事)に就き英語を学習した。明治二年(一八六九)岩倉具視の息子の具経、具定の留学に随行して渡米。二年後ニュージャージー州のラトガーズ大学に入学した。M・Aの学位を受けて帰国、文部省に入り、東京大学の初代法学部長となった。明治十七年(一八八四)ニューオーリンズ博覧会の事務官に任命され、理科教育に関する展示の学務を担当した。会場で日本に関する細かい質問をする『タイムズ・デモクラット』紙の記者ラフカディオ・ハーンと知り合うこととなる。また、ハーン来日の時は文部省普通学務局長の地位にあった。ハーンが松江に赴任できたのは、服部の尽力による。のち各県知事を歴任(岩手、広島、長崎、兵庫)、一九〇三年、貴族院議員(勲一等受賞)となった。

この服部一三の経歴は、昭和十八年に服部翁顕彰会が出版した『服部一三翁景傳』(非売品)を参考に略述したものである。服部は明治二四年四月二四日、岩手県知事に任じられ、三一年七月二八日広島県知事に叙せられるまでの七年間、彼の地に留まった。そして在職中の明治二九年に、あの明治三陸地帯大海嘯(M八・五)が発生したのである。

奇しくも、服部は明治十三年に創設された日本地震学会の会長に就任しているが、明治二九年七月一〇日発行「風俗画報」臨時増刊第一一八号、その「海嘯被害録上編」にある記事「岩手県被害報告」を岩手県知事として載せている。一部を紹介すると、

その響音の歇むや未だ数分間ならざるに海嘯俄に至り狂瀾天を衝き怒涛地を捲き浩々として驀地押し寄せ来り市街となく村落となく総て狂瀾汎濫の没する所となり沿海一帯七十余里僅かに一瞬間にして人畜家屋船舶其他挙て殆んど一掃し去れり。輙昨日まで家屋櫛比の市街も今や変じて平沙荒涼となり死屍は累々堆を為し家屋は流壊し満目一として悽寥ならざるなし其惨状実に戦慄に堪ざらしむ

この報告とは別に、『服部一三翁景傳』では、知事が善後策に苦労した実状が覗える。

翁の岩手県在職中最も苦悩せられしは、明治二九年六月十五日、突如として三陸地方を襲ひし大海嘯にして、之に対する復旧事業こそ、誠に苦心惨憺せられたものである。しかも此の年は大海嘯のみならず地震、洪水の災厄相継いで襲ひ、之が復旧の処置は、さらでだに難事であるに、時恰も日清戦争直後の事とて、一層の困難を極めたものである。当時翁の手記によれば、「明治二九年六月十五日、東北未曾有の大海嘯あり。当時府県知事会議の為上京、十六日午前十一時過ぎ電信に接し、同日午後四時半上野発の汽車にて帰県、其後日夜復旧の事に当り、政府は救助金三七萬円を拠出し、畏くも両陛下並に皇太后陛下よりも、壱萬参千円の御下賜金あり、全国有志者の義捐金四一萬円余に上る。今年の苦心は実に名状すべからず。併して前後の経営は総べて予期の通りに為し遂げたり。可賀、可賀。」と。此の間多忙を極められ、夜中睡眠を得る三、四時間のこと数十日に及びしものなり。

「稲むらの火」の原作「生神様」をハーンが書いたきっかけは、明治三陸地震津波である。津波でもハーンと服部の宿縁があった。まさに、事実は小説よりも奇なりだ。

(注一)明治三七年十二月の『英語青年』(十二巻十号、一九一頁)には「故小泉八雲氏自筆の履歴書」(英文)が掲載されている。

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