住吉神社

月刊 「すみよし」

『小泉八雲と語学教育(四)』
風呂鞏

つい先日のことである。俄に思い立って八日間のフランス旅行に付き合うこととなった。

フランス旅行といえば、今では旅行ガイドブックの表紙を飾る写真でもおわかりのように、十中八、九は「西洋の驚異」と称される、西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶモン・サン=ミシェル訪問が主目的である。JTB添乗員の話でも、五〇回以上フランスへ引率した中で、モン・サン=ミシェルに同行しなかったのは僅か一回のみだというから、その人気の程は自ずから推察出来ようというものである。

筆者の場合も例外ではない。世界文化遺産登録は一九七九年と聞くが、同様の世界遺産・厳島神社を抱える広島県廿日市市と姉妹都市となっていることは御存じであろう。宮島を愛する者として、後先など一切考慮せず、易々と旅行の誘いに乗ってしまったのである。

カトリック巡礼地であるモン・サン=ミシェルの話はまたの機会に譲るとして、パリ滞在の最終日(六月二十七日)は赤毛布らしく、フランスを代表するもう一つの観光名所であるエッフェル塔(高さ三二四メートル)に昇った。

情報通の方々は既にご存じかも知れぬが、その前の二日間は従業員のストライキのため、エッフェル塔は閉鎖されていた。徒歩で五分以内に位置するホテルに泊まっていたので、前日夕刻散歩がてら行ってみると、多くの観光客が「ストライキ中」と書かれたポスターをしきりに撮影している姿が見受けられた。二十七日は営業再開、運よく午前中に、一八八九年の第四回パリ万博の象徴に登攀できた。オルセー美術館での昼食、セーヌ川ディナー・クルーズとともに忘れられぬ一日となった。

前書きが異常に長くなり甚だ恐縮であるが、無論個人的な旅行記を披露するだけが目的ではない。筆者の脳細胞には、フランスと聞くと自国語を殊の外大事にする国というイメージが真っ先に浮かぶ。したがって、旅行に行くと決まるやいなや、戦々恐々「旅のフランス語 便利帳」なる本を買い込み、にわか勉強を始めたのである。大学では二年間フランスの小説を原語で読んだ経験はあるが、そんな記憶は既に霞の彼方に消えている。恥ずかしながら、「こんにちは」に当たるBonjour (ボンジュール)や「ありがとう」のMerci (メルスイ)など、超基本フレーズ十例余りを紙に書いて覚えなおした。ところが誠に驚くべきことだが、旅行中フランス語の知識は殆ど不要であるばかりか、日本語と少しの英語を知っていれば、それで十分であったのだ。

モン・サン=ミシェル、ヴェルサイユ宮殿やその他の観光名所では、日本人か日本語を話すガイドがいる。エッフェル塔のエレベーターにも、ルーヴルを初めとする各美術館でも、英語や日本語を知っている案内係がいて、コミュニケーションに不安はない。これはフランスのみならず、日本人がよく訪れる観光地なら、世界の至る所で見られる現象であろう。世界遺産登録の決まった富士山でさえ、五合目のお店では東南アジアから来る観光客に、その国の言葉で対応できる店員が増えているという。

ところで、言う迄もない事ながら、我が国が文科省の指導下で実施する英語教育は、このような場での旅行英語、買い物英語を目指すものではあるまい。そうした用途には、それぞれの職場での研修や市販の英会話教材、さらには街なかの会話学校で十分であろう。正規の学校現場で行われる語学教育は、例えば、聴覚器官完成の臨界期である九歳までに音声指導を行うとか、将来の自己開発、コミュニケーション能力養成にとって不可欠だと判断される最低限の準備を優先すべきが至当であろう。

日本語と外国語(この場合は英語)には当然構造上の異同があり、英語修得を困難にしている要因が従来指摘されてきた。英語の授業を中心に考えても、一クラスの中には聴覚型、視覚型、運動型の学習者が混在している。一時間中英語のみで行われる授業に堪えられる学習者は果たしてどの位いるのであろうか。

明治二十四年十一月、ハーン(小泉八雲)は熊本第五高等中学校に赴任した。あれほど愛した松江での生活であったが、松江の冬の寒さは耐え難かったのである。旧制の高等学校は東京帝国大学への進学を目指す優秀な頭脳が集結する超エリート校である。ハーンは学校で、英語、ラテン語(フランス語も一時間)合わせて一週二十七時間を担当した。その上、作文の添削などで多忙を極めた。また、良い教科書がなく、ハーンは教科書を用いないで、板書に拠る授業が多かった。

先頃、熊本五高でハーンの講義内容を克明にノートした友枝高彦の筆記ノート、その復元『ラフカディオ・ハーンの英語教育』が上梓された。刮目すべきは、ハーンが学生達に向かって「英語は間違いをすればするほど、上達します―なぜなら、間違いをすることで、私たちは学ぶからです」と優しい労わりの言葉をわざわざ書きとらせていることである。当時の熊本五高の逸材ですら、全てが語学に堪能であったわけではないことが判る。

ハーンは、熊本の五高で英語を教えた経験を「九州の学生たちと共に」という文章に書いた。その中で、日本の学生は、小さい言葉より大きい言葉を好み、短い平易な文章よりも、長い文章を書く傾向がある、と指摘している。そして、これは訳読に比較駅むずかしい書物を用いるためだろうと言っている。昭和三十六年にベストセラーとなった光文社の「カッパブックス」、岩田一男著『英語に強くなる本』の中にも言及があるが、岩田氏は「ハーンのこの観察は、はなはだ鋭く、学生にかぎらず、日本人一般のもつ欠点、すなわち、劣等意識(インフェリオリティ・コンプレックス)を、ズバリとついている」と感心している。

ハーンの中では、熊本でも愛の学校「クオレ」の精神は輝き続けていたのである。実際、文科省の上意下達方式に盲従せず、学習者の実情をよく観察し、その上で語学教育ありき、とするようなハーンの教育観に、我々は大いなる真実を認めなくてはなるまい。「ハーンを日本の教室へ」という提言こそ、今の我々に求められる覚悟ではあるまいか。

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