お知らせ
月刊すみよし著者紹介
~照沼好文氏~
昭和三年茨城県生まれ。元水府明徳会彰考館副館長。
著書『人間吉田茂』等多数。昭和六一年「吉田茂賞」受賞。
~風呂 鞏氏~
早稲田大学大学院卒、比治山大学講師
月刊 「すみよし」
『地方文化復興のために』
照沼 好文
偶々、国文学者折口信夫博士の『地方文化の幸福の為に』というエッセイを読む機会があったので、その一部分を紹介してみようと思う。この内容には、いまの豊かな飽食暖衣の時代、また情報機関、交通機関の発達し、都会と地方とが画一化され、その区別もはつしない時代に、もう一度地方の文化を見直してみよう、またそれにはどうしたらよいか、といった有益な示唆が述べられていた。
例えば、折口博士は、このよう述べている。
(前略)日本全体について言ふと、日本の国には日本の古い文化があって、これが日本の民族性格をきめてゐると言へる。よいか悪いか別として、これを冷静に考へて見ると、我々の生きてゆくべき一つの筋、よりどころとも言へよう。これが古くから保ってゐる文化であり、これを維持しようと心がける気風(キップ)だとも言へる。かういふものについて、我々はあまり簡単に考へすぎてゐるのではなからうか。今日では、かういふことがなくなって行くを心配してゐる人が、だんだん少なくなって来てゐるやうに思はれる。(中略)それよりももっと早くなくなるものは、我々の毎日くりかへしてゐる風習と、年一度週期的に行はれる年中行事だ。(中略)明治時代にはたゞ旧弊だからと言って英断的に捨てた。(中略)併し、その時は何の祟りもなく災ひはなかったけれども、時を経てその災ひが、過去の無形の文化を失ってゐるといふ重大なことに表はれて来てゐる。―文化といふものは概して無形のものだから―。
以上のように、折口博士は「日本の民族性格」言わば、その特色は日本独自の文化によって形づくられていること、また我々の心の拠り所となっていることを強調されている。さらにこれらのものを支えているのが、各地方の、それぞれの「気風」であることを力説されている。が、これもしだいに失われている。それと同時に、日常の風習や、人々のこころに安らぎや、落ち着きを与えてくれる年中行事という無形の文化が、地方から消えていくことを憂慮され、これからの地方文化の振興のために、博士はつぎのような提言をされている。
私の考へるのは極平凡だが、我々の生活民俗をつらぬくものが一つある。即、すぽうつ(スポーツ)だ。風俗習慣の中に競技の精神をもつものが、存外濃厚に力強く印象してゐる。例へば、所謂芸能といふものはすぽうつ的精神が出てゐる。(中略)これは沢山の人のすることで、一人の人が、楽しんでやったことではなく、昔宗教的に祭祀や宴会で考へてゐたものが、娯楽的な目的を引き出して来て、この目的のもとに世の中にながらへて生き残ったのである。芸能は一人でなし、必、幾人か、複数の人でないと行はれない。…
と。以上の折口博士の提言は、沈滞した地方文化を活性化し、これからの根強い地方文化を育てる糧となるだろう。
[註]『折口信夫全集』第廿八巻(中公文庫)所収。
『映画「うん、何?」を推す』
風呂鞏
錦織良成という名前の映画監督がいる。一九六二年出雲市に生れ、今年四十六歳である。一九九六年監督としてデビューした後、二〇〇二年に、故郷を舞台とする映画『白い船』を発表した。この作品は、ミ二シアター邦画作品部門の全国興行で成績一位を記録した。その後二〇〇三年のデジタルシネマ「ハート・オブ・ザ・シー」、二〇〇五年の中米ハイチを舞台にした「ミラクルバナナ」と、話題作を次々と発表した。何気ない日常を捉える描写力と柔らかな映画センスで、目下将来を期待されている若手監督の一人である。
『白い船』に次ぐ、感動の≪ふるさと映画≫第二弾、表題の最新作「うん、何?」(原案・脚本・監督は錦織良成)の有料試写会が、去る二月二日午後六時から、広島市安佐南区のTOHOシネマズ緑井で開催された。昨年秋から島根県内では先行上映会を続けていたが、広島県内では初めての試写会であった。
一月二十七日の中国新聞・芸能欄に「神話の里の恋模様」と題して紹介があったので、覚えておいでの方もあると思う。当日は錦織監督がわざわざ広島まで足を運び、上映前に舞台から観客への挨拶があった。更に出演した高校生たちの中の二人の紹介もあり、舞台上でのインタビューもあった。初めての映画出演の興奮と喜び、特に雲南の美しく豊かな自然、濃い緑の山々に囲まれた中での楽しいロケの思い出話、そして将来の進路に俳優を目指す決心がついたことなどを、誇らかに語ってくれた。
映画のタイトルは、島根県の斐伊川中流域の雲南市で全編ロケされたことから来ている。内容も、神話の里・雲南市を背景に展開する、高校生達の淡い恋物語を描いたものである。では何故今、雲南市なのか。答えは映画を観ての各自の判断に待つ他ない。しかし雲南が、出雲神話などの歴史や文化を、生活の中に色濃く残す場所であり、緑濃い自然の懐中に、神仏の信仰、スローライフを忘れず、明るく純朴に生きる人々の里である、ということは指摘しておきたい。錦織監督は早くも「うん、何?」に続いて、宍道湖岸を走る日本最古の現役電車・一畑電車を主人公にした映画「BATADEN」を準備中と聞く。
ところで、明治三十六年、二年間のイギリス留学から帰国した夏目漱石は東京帝国大学英文学講師となり、前任者のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に代って教壇に立った。処が四年後、漱石は帝国大学に辞表を提出し朝日新聞社へ入社した。その年『虞美人草』の連載を始めたが、翌年『夢十夜』を発表している。
『夢十夜』という作品は、最初の“第一夜”から、ハーンの『怪談』所収の「お貞のはなし」を想わせるなど、漱石が密かにハーンを意識して書いたのではないかと疑わせる程、類似の話を数篇含んでいる。“第六夜”のストーリーは鎌倉時代にタイムスリップし、運慶が護国寺の山門で仁王像を刻んでいるところを自分が眺めている夢である。
大勢の見ている前で、運慶は如何にも無造作に鑿と槌を使っているが、忽ちの内に見事な仁王の眉や鼻が出来上がって行く。感心していると、隣の若い男が、次のように言う。
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出す迄だ。丸で土の中から石を掘り出す様なものだから、決して間違う筈はない」といった。
彫刻とはそんなに簡単なものか。自分も仁王を彫ってみようと思い、早速家へ帰って、道具箱から鑿と金槌を持ち出して、家に積んであった樫を片っ端から彫ってみた。しかし、遂に明治の木には仁王は埋っていないことを悟った、という芸術論的夢想である。
映画「うん、何?」を観て、思わず漱石の『夢十夜』“第六夜”を思い浮かべた。
運慶が鑿と槌で、木の中に埋っている見事な仁王を彫り出した如く、この映画はまさに、錦織監督という天才が、「ヤマタノオロチ伝説」や『出雲国風土記』といった、日本の歴史、伝統、文化の香りが今なお漂うまたなき風土から、映画という媒体を駆使して紡ぎ出した、日本人の心性そのものを表象する芸術作品ではないのか。監督の美意識を通して初めて、観客は出雲神話の杜の中に今も脈々と流れる“日本人の血”を確かめることが出来るのだ。金持ちだけが偉いなど、放言・妄想の飛び交う格差社会の中で呻吟する、昨今の日本人に、これほどの“癒し”と勇気を与え、自信を回復させて呉れる作品も珍しい。
ハーンは『日本瞥見記』の「英語教師の日記から」の中で、松江中学校での授業風景、純朴な生徒達との会話、彼等の規律正しく真剣な授業参加などを暖かい眼差しで描いた。こうした教育の場における羨ましい師弟愛などは、今の日本にはどこを探しも見つからず、既に過去のものとなってしまった観がある。しかし映画には、郷土とそこに今尚残る歴史や伝統・文化を愛して止まない教師が登場する。その熱血教師と彼のクラスの生徒達とのほのぼのとした心の交流を見ていると、歴史の歯車が、まるで明治のハーンの時代にまで、逆戻りしてしまったかの如き錯覚を覚える。ここには、ハーンの「英語教師の日記から」の現代版が見事に再現されている。胸を熱くするほどのおおらかな人間関係、それを生む土壌は、神楽の里にこそあったのだ。
ベストセラーになった藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書)以来、“品格”という二文字を著書のタイトルに加える出版物が相続いでいる。世はまさに“品格”ばやりであるが、最新作「うん、何?」こそ、“品格”の名に相応しい映画なのではあるまいか。
兎も角、出雲地方の蔵する奥深さを実感させてもらった映画であった。雲南という都会から程遠い、マージナルな一地方を舞台に、今も残る日本人の真性を発掘してくれた錦織監督の芸術的手腕、人間性への深い洞察力に心から敬意を表する。
映画の終了と同時に、会場から思わず大きな拍手が広がった。昨今の試写会ではあまり経験することのない出来事であろう。映画「うん、何?」は五月に一般公開される。
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