住吉神社

月刊 「すみよし」

『先人の偉徳』
照沼 好文

昨年十一月の新聞記事に、幕末期における幕府の老中であった福山藩主阿部正弘(あべ・まさひろ)が、藩校「誠之館」(せいしかん)の正門に掲げるために、水戸九代藩主徳川斉昭(とくがわ・なりあき)に揮毫(きごう)を依頼した扁額(へんがく)の原本の書(縦六〇糎、横一四〇糎)が、広島県立福山誠之館高校に寄贈されたという報道を読んだ。(読売、「いずみ」欄、平21・11・28付)とくに、水戸の徳川斉昭(烈公)の書には定評があり、篆(てん)・隷(れい)の書法に卓越したものがある。また、烈公は幕末の動乱期に、尊攘派の主唱者として、幕府の海防参与に推薦され、阿部老中とともに国事に活躍したことは知られている。他方、水戸藩では、二代藩主徳川光圀(とくがわ・みつくに)の再現といわれ、藩政改革の新政策を打ち出し、多方面に亘って精力的に行動した名君である。しかし、そのような治績はあまり伝わらず、烈公の印象は依然として、過激な尊攘派の急先鋒として受け止められているのが現状である。そこで、この際水戸藩烈公とはどんな人物であったか、その人物像を素描してみよう。

とくに、江戸時代には飢饉、自然の災害といったものが多かったというが、とりわけ天保年間における大飢饉(天保の飢饉は、天保四年から三年間にわたって全国的に起る)には、水戸領内でも飢(う)えと貧困に苦しみ、また餓死するものもあったが、他藩にくらべて少なかった。予てから貯蔵した穀物を放出して領民を救済したためであった。しかし、こうした物質的な配慮と同時に、烈公はひたすら領民の安寧のために、身も心も抛(なげう)っていた。烈公は厳冬のさ中に、毎朝冷水を浴びて領民のため、豊作を祈った。また、烈公夫人とともに、毎朝粥食を摂り、かつ領内の諸社に五穀豊穣を祈るなど、懸命に領民の安寧と、豊穣を祈願した。他方、領民たちは烈公の民を思う眞険な姿に、自然に公に対する感謝の念が湧いた。それと同時に、次第に崇高な神々しさを感じ、烈公を生神として崇敬するに至った。

とくに、領内の常磐村十二戸の農民たちは、烈公の御恩徳を忘れないように誓い合って「御蔭講」(みかげ)という組織を作り、年三回、特定の日(二月四日、七月四日、十一月中の卯の日)を定め、農民たちの家族が集って君恩報謝の行事を行った。この日には、烈公の書の掛軸をかかげ、殊にこれを仰ぎ、奉斎した。そして、細やかな粟稗などの飯を食しながら「彼の兇荒の艱難なるありさま」を共に語り合い、烈公の仁徳の「たかきをあふ(仰)ぎ、御めぐみのふかきに、むく(報)いむことを」誓い合ったという。この「御蔭講」は、昭和の初年ごろまで続き、また「御蔭講」の由来を顕彰した碑「仰景碑」は、現在、水戸の常磐神社境内に建立されている。

以上、私は烈公書の福山藩校「誠之館」の扁額に関する報道から、殆ど世間に知られていない烈公の人物像を披瀝(ひれき)した。とくに、藩主烈公の領民に対する仁愛の情、また領民の烈公に対するあつい謝恩の姿を見ることができた。そして、これは烈公自身がまず、みずからの身を修め、心を清めることに徹したために、領民を風教感化することができたものと思う。

ともあれ、今回改めて水戸烈公の人の為りに触れる機会にめぐまれ、また阿部老中が有為な福山藩の子弟を育成するために、強いて烈公の書を所望した真意が理解された。とりわけ、扁額「誠之館」の「誠」こそ、現代の人びとが、忘れてはならない心であると思う。

烈公の和歌

  朝な夕な飯食(いひく)ふごとに忘れじな

  恵まぬ民に恵まるる身は

        ―『景山詠草』―

 

『猫が好きだった小泉八雲』
風呂鞏

我々人間が家庭で身近に飼う動物といえば、犬と猫が筆頭であろう。そして、人間のタイプに「犬型」と「猫型」があると指摘される如く、犬と猫には、犬猿の仲とまで謂わずとも、お互い相対する特徴が見える。犬が人に、猫の方は場所に愛着を持つのは、周知のことである。同じペットでも、犬は人間の命令を守る忠実な下僕であり、哲学者にも譬えられる猫は、自己本位の生き方を好み一筋縄ではいかない。

どうした訳か、英語の授業でも、The dog is a faithful animal.(犬は忠実な動物である)に対し、 A cat has nine lives.(猫には九つの命があり、殺されても死なぬ)などという象徴的な英文を学び、犬と猫の特性を理解した気持ちになることもある。

ところで、猫については洋の東西を問わず、好いイメージが少ない感じがする。

日本では「猫撫で声」「猫背」「猫かぶり」「猫舌」「猫糞(ねこばば)」といった、印象の良くない言葉がある。ジョージ・オーウェルという二〇世紀イギリスの作家が書いた『動物農場』では、全く仕事せず、食事だけにちゃっかり姿を現わし、言い訳上手な猫が登場する。

こうした中で、大槻文彦著『大言海』(冨山房)の“猫”の解説は誠に微笑ましい。

古ク、ネコマ。人家ニ畜フ小サキ獣、人ノ知ル所ナリ。温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ。形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル。毛色、白、黒、黄、駁等、種種ナリ。其睛、朝ハ圓ク、次第ニ縮ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後、復タ次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ。陰處ニテハ常ニ圓シ。

小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンは自分を大の猫好きと認めていた。西インドでは三十余匹の猫を飼っていたし、松江でも、焼津でも、東京でも猫を飼っていた。

アメリカ時代の作品『きまぐれ草』に、アイテム紙に書いた「小さな赤猫」(一八七九・九・二四)が載っている。耳が馬鹿に大きな赤猫が、何処からか、斑のちび猫を一匹拾ってきて、妹のように面倒をみてやる。ところが、不運にも、そのちび猫が揺り椅子の下敷きになって死んでしまう。それと知らず、ちび猫を探し回っているうちに、自分も消防車を避けきれず轢かれてしまう、と哀れを誘う話である。

ハーンは、放浪性を持つ弱者という点で、猫に自分を見ていた。母親の保護を失った子猫とそれを助けるハーンという、弱者と保護者の組み合わせが屡々描出される。

一八七七(明治一〇)年、アリシア・フォーリとの結婚破局などで、ハーンはシンシナーティ・コマーシャル社を退社し、ニューオーリンズへ行くため、汽車でメンフィスへと向かう。メンフィスで綿花運搬船トンプソン・ディーン号に乗り換えるために下車するが、運行は不確実で同地に約二週間逗留することになる。

安い宿を探し回っていたある日、彼は目の前で起こった残忍極まる行為を目撃した。酔っ払いの男が、足元にいた猫を蹴飛ばし、両眼をえぐり出して投げ捨てたのである。「世の中に、自分の快楽のために弱いもの苛めをすること以上の悪はない」と信じるハーンは、怒りで身を震わせ、ポケットに持っていた拳銃で、男めがけて発射した。近眼のため弾丸は外れたが、ハーンはこの時の残念な気持ちを生涯忘れなかったと言う。

小泉セツ『思い出の記』には、松江で飼っていた玉(白黒の斑毛)の回想がある。

(明治)二十四年の夏の初めに、北堀と申す処の士族屋敷に移りまして一家を持ちました。私共と女中と子猫で引越しました。この子猫はその年の春まだ寒さの身にしむ頃のことでした。或る夕方、私が軒端に立って、湖の夕方の景色を眺めていますと、すぐ下の渚で四、五人のいたずら子供が、小さい猫の児を水に沈めては上げ、上げては沈めして苛めているのです。私は子供達に、お詫びをして宅につれて帰りまして、その話をいたしますと「おお可哀相の子猫、むごい子供ですね―」といいながら、そのびっしょり濡れてぶるぶる震えているのを、そのまま自分の懐に入れて暖めてやるのです。その時私は大層感心いたしました。

静岡県焼津では、魚屋乙吉さんの家の二階で雌猫を二匹飼っていた。スパーク、即ち「火の子」と名付けられた烏猫(黒猫)と、もう一匹は捨てられていた小猫であった。

東京の牛込の家では「タマ」という名の利口な三毛猫を飼い、愛していた。ハーンが置き忘れた縮緬の兵児帯をタマが探し出して喜んだエピソードもある。犬の白と一緒に大久保に連れて来たが、自分の子を食べたことで、ハーンは大層怒り捨てさせた。

話変わって、JR渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けた「忠犬ハチ公」は有名であるが、最近、イギリス南部の都市プリマスで大変話題になった猫がいたらしい。四年間毎日、決った時間に同じ路線のバスに乗り込んだという珍しい猫の話である。

十二歳のオス猫キャスパー(毛は白と黒)は、毎日自宅のそばのバス停から通勤客らとバスを待ち、午前十時五十五分発の三番のバスに乗り込み、歴史的な造船所や海軍基地、歓楽街の中を通って行く十一マイル(約17.7キロ)ほどの路線を回って一時間ほど過ごした。年老いていたが、推定二万マイル以上バスに乗って旅をしたと云う。

飼い主は六十五歳のケアワーカー(介護福祉士)スーザン・フィンデンさん。キャスパーは二〇〇二年に保護施設から引き取られたが、自由な精神の持ち主で、いつもすぐ姿が見えなくなるので、漫画の幽霊キャラクターから名前が付けられた。

ところが、二〇一〇・一・二〇「ロンドン・十九日ロイター」には、「バスの常連だった英国の猫、ひき逃げで死ぬ」と地元メディアが伝えたとある。

ハーンに倣えば「なんぼ利口の猫!」となるところだが「おお可哀相のキャスパー、むごい事故ですね―」と死を惜しむのは、プリマスの通勤客だけではあるまい。

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